クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 目が覚めた時、思ったこと。
 昨日本屋へ行った。色んな本があり、人間の持つ関心が多様であることを思わされる。人間が生きていく上で必要な内容の本がある。たとえば、料理、家事の本、医学の本、法律に関する本。趣味に関する本もある。人間の趣味は多種多様であり、それに応じて、沢山の種類の本がある。新書と呼ばれる本を見ると、無限と思えるほど色んなテーマの本がある。人間は、色んなことを考えていることが分かる。
 自分が考えもしないことを人は考えている。そして人は多種多様な、様々なことを考えている。こう思う時に、このような人間はどうして存在するようになったのか、と考える。進化論が言うように、進化の結果、こうなったのだろうか。それとも神の創造によるのか。

 生物は種に分かれている。イワシは、群れをなして泳いでいる。群れ全体が、一つの生き物であるかのように行動し、泳いでいる。僕の好きな蝶は、群れをなして飛ぶことは少ないが、羽化してから死ぬまで個々の蝶のしていることは同じである。人間以外の生物は、基本的に同じように生き、同じように死んでいく。植物であれば、芽を出し、葉を出し、花を咲かせて種をまく。動物であれば、誕生して子孫を残して死ぬ。人間も生まれて子孫を残して死ぬという点では同じであるが、人間は様々な関心を持ち、様々なことを行う。同じ生き方をするとは限らない。人間は特異な存在である。人間だけなぜ特異なのか。

 僕は、偶然の進化の中で誕生した人間という人間観では、人間の特異性を説明できないと考える。言葉の上では、進化の過程で、知性を持つ人間が生まれたから、その特異性があると言うことができる。そもそも進化をいうなら、なぜ、多種多様な生物がいるのだろうか。進化は一つの方向を目指さないのだろうか。

 聖書によれば、神は種類に従って生き物を造ったとある。人間の特異性、それは、神が大切なものとして人間を造ったからと思わざるを得ない。

 人間の顔。ほとんど同じ顔はない。でも動物、植物、形はよく似ている。猫の顔。種類が違えば、顔かたちは違う。一つの種類において、人間の顔のように、一目見て違うとわかる多様性があるようには思えない。人間の顔の多様性も、偶然の進化から来るとは思えない。神が大切なものとして人間を創造し、大切な一人一人の人間に個性として違う顔を与えたと考える。