クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

ipod

 最近、うれしく感じたことがある。それは ipod を修理に出した経験。ipod のバッテリーがいかれたので修理に出すことにした。アップルのサイトで修理を依頼する。すると宅配便で自宅まで ipod を取りに来てくれる。そして宅配便で ipod が自宅に届く。その間、メールで今どの段階にあるか、知らせが届く。大きな満足感を得た。さすがアップル。


 この3週間くらい、風邪気味だった。妻も風邪を引き、今ほとんど治ったが、以前とは同じ体力はないように感じた。一週間に一日はゆっくりしないといけないと感じ始めた。


 日本基督教団の多くの教会では、教会員はどのようにして聖書を学ぶのか、というと礼拝説教を聞くことによって聖書を学ぶ。そして聖書研究祈祷会で学ぶ。後者は自由参加である。後は個人で聖書を読み学ぶことになる。


 学校では、知識を伝達する教育がなされる。そして試験がなされ、どの程度知識が身についたかチェックする。試験を通して身につくように導く。しかし、教会の場合は、礼拝説教は聞きっぱなしとなる。説教を聞いてどう受け止めたのか、など確認はしない。聖書研究祈祷会では、牧師の語ることをメモする人もいるし、聞くだけの人もいる。教会もまた聖書に関する知識伝達の学びをしていることになるが、どれほど身についているかはわからない。身につけさせるためにチェックすることもない。


 弟子訓練とは、み言葉を実践する人を育てることである。聖書の言葉を実践して生きる人を育てることである。聖書に書いてあることを伝達するだけでは、実は、み言葉に生きる信仰者を育てているとは言い切れない。伝道が振るわない原因の一つに、信仰が見えないことがある。み言葉を実践するなら、信仰が見える。でも信仰が見える信仰者が多くはない。だから他人に対する感化力、影響力が少ない。キリスト教の魅力が伝わらないのである。だからみ言葉を実践して生きる信仰者を育てることが大切となる。

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

これはマタイ福音書最後の聖句であり、昇天直前のイエスの言葉である。イエスは、聖書の言葉を実践するように信仰者を弟子としなさいと命じている。これは牧師の大切な働きである。