クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝、デボーション。祈祷会は、思わず涙が誘われるデボーションの分かち合い。こんな分かち合いができるなんて牧師冥利に尽きる。午後は、祈祷会の準備。祈祷会は、創世記二章で「結婚の奥義」と題して学ぶ。それに関連するDVDを見ていて、

「違いを受け入れる」ことを考えさせられた。

男と女の違い。違いを受け入れあうことは結婚にとっては基本的なこと。外に出れば、自分と違う人との関わりが待っている。堕落した人間は、自分と人を比較し、劣等感を持ったり、優越感を抱いたり、自分を守ったり、つまりは、人と共に生きることを避ける歩みをする。人は互いに違うからこそ、受け入れ愛、助け合い、愛し合うべきなのだ、と教えられる。

私たちは攻撃されると、私たちは自分を守ろうとします。ですから、私たちは障壁をつくるのです。他のだれかが守ってくれてはじめて、他に開き、敵を愛することができます。パラクレートス(聖霊)という言葉の訳語の一つは”弁護者”なのですが、ご存じでしょうか。神が私たちを守って下さっている、ともし知っていれば、自分で自分を守ることはないのです。

これは『人と出会うこと』(ジャン・ヴァニエ著)からの引用。人と出会う、僕の課題の一つ。

植木鉢では、スミレが芽を出し始めている。まもなく花を咲かせてくれる。楽しみ。スミレは自分の花を咲かせる。人が咲かせる自分の花とはどんな花なのだろう。