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隠退牧師 holala によるブログ

 第一日 すべては神から始まる

 昨日から『人生を導く五つの目的』(リック・ウォレン著)の学びが始まった。基本的には、各自がレポートを作成してそれを分かち合うことを中心にした学びである。以下、僕のレポートである。

第一日 すべては神から始まる

暗唱聖句 コロサイ 1:16

「いっさいのものがキリストのうちに始まり、キリストの中にその目的を見出すのです」

1.要約

(1)著者は、最初に要約を述べる。

 人生はあなたが中心ではありません。人生の目的は、個人的な達成感、心の安らぎ、幸福といったものよりも遙かに偉大なものです。またあなたの家庭や職業、夢や野心などよりもずっと偉大なものです。
 自分がなぜこの地上に存在しているのかを知りたければ、まず神から始めなければなりません。あなたは神の目的に従って、しかも、その目的のために、生まれたのです。


(2)人生の目的を知る方法

 自分から出発すると人生の目的は見えてきません。自分から出発する、つまり、「私は」何になりたいのか、「私」は何をすべきなのか、「私」の目標は、「私」の願いは、「私」の将来の夢は、と「私」から出発する時、人生の目的は見えてきません。

「すべての命あるものは、肉なる人の霊も/御手の内にあることを」(Job12:10)。

 あなたの造り主が出発点なのです。あなたが今存在しているのは、神がそう願われたからです。あなたは神によって、そして神のために造られました。

 神から出発する時、自分の起源、アイデンティティ、意味、目的、重要性、そして行き先を見出すことができるのです。


(3)多くの人の間違い

 多くの人が自己実現のために神を利用していますが、それは自然の理に逆らうことであり、失敗に終わるのは目に見ています。

 「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(Ro8:6)。

重要!

間違い:自己実現のために神を利用する。
真理 :神の目的のために自分を用いていただく

ここにクリスチャンが悔い改めるべき点がある。


(4)自己啓発

 自己啓発の本は、自分を中心とした視点で書かれています。これに従って自分の夢や価値観に従って生き、人生の成功を収めたとしても、自分が設定した目標を達成したとしても、人生の目的を達成することになりません。

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(Mt16:25)。


(5)本書のテーマ

 この本のテーマは、あなたが神の意図した者となっていくことです。


(6)神を出発として人生の目的を知る方法

 それは「思索」によるのではなく、「啓示」によります。思索の結果は、憶測の域を出ることはありません。神が聖書を通して、人生について啓示しておられることに目を向けることができます。神は聖書を通して、はっきりと人生の五つの目的を明らかにされました。

「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです」(1Cor2:7)。


(7)人生の目的

 エフェソ 1:11  教えること。
「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」。

  1. あなたのアイデンティティと人生の目的は、イエス・キリストとの個人的な関係を通して見出されます。
  2. 神は、あなたが神のことをかんがえるようになるずっと以前からあなたのことを考えておられました(Ps 139:13〜16)。→人生の目的を選ぶことはできません。
  3. あなたの人生の目的は、はかりしれないほど遠大な、宇宙大の目的と合致するものです(Eph 1:3〜15)。


2.読んでみて
 ここに語られていることに全面的に賛同する。テーマが明確に、整理されて論じられていて教えられた。


3.熟考するポイント 「人生はあなたが中心ではありません」

 自分が生きていることに気づいた時、つまり自分が死ぬ存在であることに気づいた時、自分の生きる目的を考え始めました。この世は、自分が見える範囲だけ存在しているのだと考えたこともあります。自分が場所を移動すれば、新しく見える場所は、自分が見ることによって存在を始めるのだと考えました。世界は自分を中心としていると考えていたことを示しています。
 小さい頃から死を恐れました。それは結局、人生の中心に自分がいるから、自分が死んでしまえば世界に意味がなくなるし、世界から自分が見捨てられることになり、そこに恐ろしさを覚えたのだと思います。
 自分は何のために生きているのか、何をすればよいのか、まさに著者が指摘しているように、私は間違った出発点から、つまり自分から人生の目的を考えました。そして答は見つからず、死の恐れと生きることの空しさに捕らわれていました。『人生を導く五つの目的』の本に若い日に出会っていたら、若い私は喜んでいたことでしょう。
 救いを求める私に教会へ誘って下さる方がいて、教会に行きました。私に信仰に踏み切る決断を与えたのは、キルケゴールという哲学者の『苦難の福音』という本でした。彼は哲学者として知られていますが、牧師の資格を持った人です。そこで教えられたことは、イエス・キリストは、自分のためには生きなかった、ということでした。自分のために生きる時、人生は意味を失い、神のために生きる時、人生は意味を見出すという内容でした。今思えば、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(マタイ16:25)ことを教えられ、共感しました。
 神は、私を牧師へと召して下さり、空しさから救い出して下さいました。神を信じ、神に仕えるようになり、人生は神が中心であり、自分が中心ではないことがよくわかりました。
 しかし、牧師として歩む中で、自己実現の誘惑に常にさらされていたことを実感しています。神に召されている自分がいかに、牧師としてよく働くか、です。立派に働くことに生き甲斐を見出す自己実現です。自分の力不足を嘆き、思い通りにならない現実にいらだったり、思い通りにならない現実に対して人のせいにしたり、自己実現の誘惑は恐ろしいと感じています。幸い、今は、ただひたすら神に忠実に歩むことだけを考えています。それが神のみ心だと確信しています。


4.考えてみましょう

テーマ
 私たちは様々な宣伝や広告に取り囲まれていますが、そのような環境の中にあっても、人生の目的は、自分のために生きることではなく、神のために生きることなのだと、思い起こしていくためにはどうしたらよいか

 神のために生きることは大切です。「キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった」(ローマ15:3)が若い日に心にとどまり、自分を喜ばせることについては禁欲的になりました。それほど徹底したわけではありませんが、人生を楽しむという発想はありませんでした。それ故に、牧師として働く中で自己実現するという思いが生じたのだと思います。今は、人生を楽しむことも大切なことだと考えています。この世界は神様が造ったものですから、この世界を楽しむことを通して、神様を賛美することは素晴らしいことだと考えます。

 私は自分の生きる目的として、次の四つを掲げています。

  1. 神に召された目的、教会形成に力を尽くす
  2. 神を深く知る
  3. 家族と教会員を愛する
  4. 人生を楽しむ


 健全に人生を楽しむ時、神を賛美する心がみち、神のために生きることができると今考えています。日々聖書を読み、神のみ心を思い巡らし、その御心に従うという営みは勿論欠かすことはできませんが。