クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


↑教会員のSさんの自宅前にある駐車場に咲いていたコスミレ

自分はいつ死んでもいい。

 こう語る教会員が2名いる。高齢者の中にはそう語る人もいると思うが、この2名は高齢者ではない。そして僕も最近、そんな思いを持つようになった。心境の変化である。勿論、まだ長生きして、福音宣教のために労したいと考える。自分の心境の変化の一つの理由は、『五つの目的』(リック・ウォレン著)に、この世の信仰生活は、永遠の世界への準備だと語っていることに思いを向けたからだと思う。


 ある意味で人生は不公平である。人生を開始した時の初期条件、育つ家庭の環境条件は、人それぞれ異なっている。恵まれた人もいれば、そうでない人もいる。色々な条件が違っていても、それを不公平と見ないで、神の前にいかに生きたのかが、問われると考える時、言い換えると、人はそれぞれの条件の中でいかに生きるかを神に期待されているわけであり、神の期待にどう答えるかが問題であり、それが最後に神の前で問われるのである。このように考える時、人は人生が不公平だと怒ることなく、現実をありのままに受け入れて生きる力を得ることができるのではないか。この世の生活は、永遠の生活への準備と知る時、神の前に生きることを真剣に考えるようになるのではないか。少なくとも僕はそのように考えて生きている。


 そして我々が、それぞれの条件下で生きることは、同じような条件下に生きる人を励ますという生きる意味がある。神の前にどう生きるか、それが大切な課題となる。まだまだこの課題には十分答え切れていないので、後しばらくは牧師として生かされることを願う。