私たちは偽りを警戒しなければならないと感じる。
偽りはもっともらしい顔をして、私たちの心に忍び込んでくる。
私たちは、偽りを真理として信じてしまう。
人は意外に偽りを信じている。
多くは、思い込みとなって現れている。
悪魔こそ、偽り者であり、偽りを言う者の父である。
創世記の3章で、善悪を知る木の実を食べても死なない、と偽りを語っている。
信仰者の語る言葉を聞いていると、偽りを信じていることに気づく。
いや、僕自身偽りを信じてきた。
僕が信じ苦しんだ偽りは、次のものである。
- 失敗はしてはいけない。
- 牧師は、批判を受けないように、その務めに努力しなければならない。
僕が聞いた偽りには、こんなものがある。
- 人が変わるのはむずかしい、人は変われない
- 嘘も方便
- ありのままでよい
聖書は、神はありのままの我々を受け入れてくださると教えているが、神は、我々の成長を願っておられ、ありのままで良いとは思っておられない。
↑浅野川にて。最近よく見かける