クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

(神の導き つづき)

 コンピュータの会社(CAC)に入社し、あるプロジェクトに配属されました。そこに一年先輩のHさんがいました。一緒に楽しく仕事をしました。可愛がってくれて楽しかったです。Hさんがある時、「おい堀江、お見合いしないか」と言うのです。彼の父の友人の妻のYさんが相手を紹介してくださいました。HさんがYさんのところに一人で行くのが恥ずかしいので僕に同行を求めたのです。彼もお見合いし、私もお見合いしました。私はまだ若かったので、真剣に結婚を考えることが出来ませんでした。今思えば、結婚するには精神的に未熟であったと思います。結婚するとはどういうことかが分かっていなかったのです。


 お見合いの労をとってくださったYさんが実はクリスチャンでした。Yさんが僕を伝道集会に誘ってくださいました。東京杉並区にある教団の大宮前教会です。伝道集会で話を聞いて、信じれば救われるなんて話がうますぎる、信じて救われるなら苦労しないよ、これはまゆつば物、と受けとめて、教会には行かないと内心決意して帰ったのです。しかしその日、教会が火事になったのです。幸いぼやですみました。ぼやとは言え、驚きました。これは何かの縁だと思って、教会の礼拝に通い続けることにしました。青年会の活動にも参加しました。聖書を一緒に読むことが楽しかったです。クリスマスの時、夜キャロリングをして教会に戻ってきてお汁粉を食べたことを思い出します。


 もし大学紛争がなければ、もしCACに入社していなければ、もし先輩のHさんにで出会っていなければ、もしお見合いに誘われなければ、もしYさんがクリスチャンでなければ、もしYさんが伝道集会に僕を誘わなければ、もし伝道集会の日教会が火事にならなければ、僕は教会に行っていなかったかもしれません。そして牧師になっていなかったかもしれません。


 大宮前教会に通っていたある日M牧師から洗礼を受けませんかと言われ、会社の帰りに教会に行きました。先生と向き合って座った時、僕は「灰皿はありませんか」と聞きました。M牧師は「灰皿はありませんが」と言いながら、お皿を出してくださいました。そして僕は平然とタバコを吸いました。「洗礼を受ける気持ちはありませんか」と問われ、僕は「罪がどういうことか分かりません」と答え、「それならまだ洗礼は早いですね」と言われてその場はお開きとなりました。後に東久留米教会の礼拝に出るようになりますが、礼拝が終わって教会の玄関から出た路上でタバコを一服したら、牧師夫人が出てきて、「こんなところで喫煙してはダメよ」とたしなめられたことも覚えています。