(内容)
アラムの将軍ナアマンが重い皮膚病になり、そのいやしを求めて預言者エリヤのもとに行きます。ナアマンはいやされ、自分をいやされた神こそ、まことの神、この神以外に神はいないと告白し、改宗します。
(黙想)
- ナアマンはエリシャの家を尋ねます。用件を伝えます。エリシャは召使いにナアマンへの伝言を伝えます。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元に戻り、清くなります」。なぜエリシャが自ら玄関に出てナアマンに語らなかったのかと疑問に思います。召使いに伝言を与えるより、自ら語る方が礼にかなうように思います。
- そこで思うことは、神さまは、私たちに直接語らず、人を介して、あるいは聖書をとおして、私たちに語られるということです。神さまご自身が直接人に語った方が、人も真剣に神さまの言葉を受けとめるのではないか、と考えます。でも神さまは、人を介して、礼拝においては説教者を通して語られます。あるいは聖書をとおして私たちに語られます。
- ナアマンは怒ります。そして帰途につこうとします。彼が怒った理由は、エリシャが家から出てきて、神の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病を癒やしてもらえると思っていたのに、そうではなかったからです。ヨルダン川で身を洗えという方法にナアマンは納得できませんでした。また、エリシャが直接自分に語らなかったことにも、失礼だ、と怒る気持ちもあったのではないかと思います。ナアマンのプライドが、素直に従うことを拒ませたということができるかもしれません。
- ナアマンの家来は、ナアマンに進言します。エリシャが何を言おうとあなたはそれに従うつもりだったのだから、ヨルダン川で身を洗えというのは簡単ですぐできることだから、やってみたらどうですかと言います。自分が気に入ろうが、気に入るまいが、神さまの仰ったことには従ってみることが大切です。神さまのこの教えはむずかしい、無理だと言う声を何回も聞きました。自分を弁護し、言い訳をして、神さまの教えに従わないのです。一度従ってみたら、と言いたくなります。言って、相手から嫌われたこともあります。素直に従うことは大切です。
- 私たちは神さまの導きを求めるとき、神さまの導きは、私たちが納得できるようなものであることを願う気持ちがあると思います。自分の願いとは違う導きの時、私たちは気に入らないのです。気に入らない導きを与えるなら、神の導きは求めない、自分のしたいようにすると考える危険さえあります。
- ナアマンはいやしを体験し、イスラエルの神こそまことの神、この神以外に神はいないとの信仰を告白します。彼はこのまことの神に立ち帰ります。異邦人の改宗の先例と言えます。唯一の神を知ることは大切です。そして唯一の神に信頼して生きることが大事です。宗教改革者ルターは、すべての善きものをこの神にだけ求め、困難にあっては、この神だけに助けを求める、それが唯一の神を持つことだと教えます。
- エリシャの従者のゲハジはむさぼりの心を起こし、神の裁きを身に招いてしまいました。神さまは、見ておられます。私たちは神さまの御前に歩んでいるのです。神さまをごまかすことはできません。
(聖書が語ること)
☆神さまはいかなる方か
- 神さまは直接私たちに語る方ではなく、仲介者(説教者)、仲介するもの(聖書)を通して語る方です。
- 神さまは、ごまかされるようなお方ではありません。
☆神さまが望まれる生き方
- 神さまを唯一の神さまと信じて生きること。ナアマンは模範です。
- 神さまの指示には素直に従う。
- むさぼりの心を起こしてはいけません。
- 自分の思いではなく、神さまのみ心の実現を期待すべきです。
(実践に向けて)
ナアマンは病気のいやしを求めてエリシャのもとに行きました。神の助けを求めました。私たちは自分の必要を満たすために神に求めることはよくあります。神さまはそれに応えてくださいます。日常生活において、ほぼ満たされ、神さまに求めることがなくなることがあります。満たされていると感じるのです。使徒パウロは、私は足ることを知っていると語ります。
自分が満ち足りているなら、その時こそ、唯一の神さまが、私に期待していることを探り求めるべきだと思います。主の祈りに、御心が地で行われるようにと祈ります。神様は私に何をせよ、と願っているのか、み心を尋ね求めることが大切だと思いました。神の前に生きる者として今、自分がなすべき事は何なのか、思いめぐらします。
- 夜、奈良高畑教会の夏期祈祷会が行われる。私が証しをすることになっているので、証しが神さまに用いられることを祈る。
- 今、新しいサイトの開設に向かって準備をしている。神さまがせよ、とおっしゃっていると受けとめて取り組んでいる。充実したサイトができるように祈る。
- 引退し、説教応援をするなかで、教会が長老の働きによって支えられていることを感じるようになった。説教応援に行っている教会のために祈る。
- 今日中にH教会に9月の礼拝の説教箇所、説教題、讃美歌を知らせる。