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隠退牧師 holala によるブログ

列王記下24章


(内容)
バビロンの侵略と共にユダの王が次から次へ交代します。そしてユダは滅亡に向かって進んでいきます。


(黙想)

  • ユダは世界史の中に置かれています。バビロン帝国が支配領域を拡大すべく、侵略を進め、ユダもバビロンの侵略に直面します。24章に最初に登場する王は、ヨヤキムです。彼の治世にバビロンが攻め上ってきた時、彼はバビロンに服従することとしました。しかし3年後バビロンに反旗を翻します。彼は、カルデア軍(バビロン)、アラム軍、モアブ軍、アンモン軍との戦いに明け暮れ、36才の若さで亡くなります。
  • 続いて、ヨヤキムの子ヨヤキンが王になります。彼が王になってすぐ、バビロン軍が攻めてきます。18才の彼にはなすすべもなく、バビロン軍に降伏し、彼はエルサレムに住む人々と共にバビロンに捕囚として連れて行かれます。
  • バビロンは、まだユダを滅ぼすつもりはなく、ゼデキヤをユダの王に立て、ユダを支配しようとします。初めはバビロンに従っていたゼデキヤですがやがて反旗を翻します。反旗を翻す気持ちは分かります。でも勝利できる見込みがあるとは思えないのに、なぜそうするのか、と思います。悪あがきをしているに過ぎませんし、支配されることに屈辱を感じたのでしょうか。いずれにせよ、ユダは滅びに向かっていますし、それは神の怒りの結果であり、ユダは神の御前から捨てられることになります。


(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

  • 神は罪に対して怒る方であり、罪を裁く方です。罪を犯し続けるものを神は裁きの結果として見捨てるお方です。
  • 神は外国の軍事力を用いて、ユダを滅亡に導く方です。歴史としてみれば、バビロン帝国が支配領域を広げるべく、ユダを攻略し、さらにエジプトまで支配しようとしています。聖書は歴史の出来事の中に神のみ業を見ています。

☆神が求める私たちの生き方

  • (教え)罪は神の裁きを招き、さらには滅びを招くと教えられます。


(神の導き)

祈り

  • 天の父なる神、あなたはイスラエル、そしてユダの王たちの罪を見過ごしにできませんでした。彼らはあなたの教えに逆らい、偶像礼拝を続ける王たちでした。あなたはイスラエルをそしてユダを滅亡させる決断をし、すでに北イスラエル王国アッシリア帝国によって滅亡しました。今バビロン帝国によってユダ王国の滅亡が差し迫っています。これは昔の出来事、古い出来事ですが、罪はあなたの怒りを招き、自らの滅びを招くことを教えられます。
  • 今度の日曜日、説教奉仕が与えられています。主イエスが再臨され、審きを行うことが書かれている聖書箇所です。終末や最後の審判という事柄は、現実的な事柄には思えない面があります。いかにこれをリアルなこととして語るかは説教の課題だと思っています。
  • 今日の聖書を読み、罪を真剣に考えない時、終末も最後の審判も現実的なこと、自分に身近なこととしては考えにくいのだと教えられました。罪は他者を傷つけ、他者の命を奪います。聖書の中でも悪人が栄え善人が苦しむのはなぜか、と預言者エレミヤはあなたに問いかけています。この世の現実は不条理に満ちています。この世の現実は、罪が支配しているように思えます。あなたは正しい方ですから、罪を裁かれます。あなたは憐れみ深いお方なので、罪を犯す者が悔い改めるのを忍耐をもって待つお方でもあられます。そして最終的には、世界を支配する神としてあなたは、罪に対する審きを行われるのですね。他者の罪のために苦しみを味わい、命すら奪われた人たちのために、彼らを苦しめた者たちを裁き、あなたは正義を完全に行われるのですね。
  • 今度の説教の中で、罪が最後の審判をもたらす必然性を語り、自分の罪を今一度悔い改め、イエス・キリストによる赦しをいただいていることを感謝し、神さまのみ心に歩むように語りたいと思います。そして最後の裁きは、信仰者にとっては希望であり、裁き主である主イエスは、私たちにみ国を受け継がせてくださる方であること伝えたいと思います。自らの命を罪人の救いのために十字架で投げ出された方が、裁かれます。主イエスを信じる者は、今よりいっそう神と人を愛し、神の国を受け継ぎなさいと勧めます。裁きの時に神の国を嗣ぎなさい、と言われる喜びを伝えたいと思います。

(与えられた導き)

  • 罪は最後の裁きを招くことを説教の中で伝える。最後の審判の現実性を伝え、救われていることの喜びを伝える。