クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私にとって、イエスはいかなる方か(3)

◎主イエスは、わたしを解放してくださる贖い主

 「贖(あがな)う」という言葉は意味が二つあります。一つは「なだめる」という意味。罪を犯したとき、罪の償いのためにいけにえを献げ、神の怒りをなだめるというのです。それは「赦し」につながります。主イエスのおかげで私は罪を赦されました。これは前回書きました。


 「贖う」という言葉は、もう一つ、「買い戻す」という意味があります。経済的な困窮のために奴隷として売ってしまった家族を買い戻すというのです。それは、主人が変わることを意味します。イスラエルの民はエジプト王の奴隷でしたが、贖われて神のもの、神の民となりました。エジプト王という主人から、神を主とするようになりました。そこには奴隷状態からの解放があります。


 福音とは何かと言われたら、それは解放、と私は答えたいです。主イエスは、私の罪を赦しのために犠牲となってくださいましたが、それだけでなく、私を罪から解放してくださる救い主です。罪から解放されたと言っても、自動的に罪を犯さなくなるわけではありません。罪の支配から解放してくださり、個々の罪に罪に打ち勝つことができるようにされました。ここには罪との戦いがありますが、勝利が約束されています。勝利すると喜びがあふれます。


 そればかりでなく、主イエスは私を劣等感、妬み、死の恐怖、思い煩い、空しさから解放してくださいました。これらは罪に根ざしていますので、私たちはこれらの思いに支配されますが、主イエスは解放してくださいました。まことに感謝です。

しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。(ローマ6:17-18)。

あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。(ローマ6:22)。