クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.4.20)
聖書 コリント一14:1〜19 教会で語る言葉


1.コリント教会で起きていたこと 


 コリント教会では、自分の持っている霊的な賜物を誇る、自慢するということが起きていました。それは持っていない人に対する優越感となって現れていたのです。霊的な賜物とは、神が与えてくれる特別な力、能力を指します。この手紙の12章には、奇跡を行う力、病気を癒す力。言葉に関わるものでは、知識の言葉、知恵の言葉、異言、預言というものがあります。これらの実態を私にはよく分かりません。


 コリント教会では、異言の賜物、という霊的な賜物が問題となっていたようです。この賜物を持つ人が自分を誇り、持っていない人を軽んじていたと思われます。現代でも異言を語ることを大切にする教会があります。


 中には、異言を語ることができて一人前のクリスチャン、語ることができないのは、まだ一人前ではない、と考える教会もあります。


 求道者の頃、「行ってみたら」と言われて、気づかずに異言を語る教会の祈祷会に参加したことがあります。牧師の話が終わると、何人かの方が手を挙げて、何月何日何時頃、異言を語ることができました、と次々に報告していました。


 異言とは何でしょうか。使徒言行録2章には、聖霊に導かれて、自分の知らない外国語で話し出すこととして聖書に描かれています。自分で何を語っているか分かりません。聞く人も外国語で話されているみたいで理解できません。

「異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです」(2節)。

 異言については色んな本を読みました。およそどんなものか想像できます。試しに異言らしきものを語ってみます。

「●★◇*?!・・・・・・☆□@$%・・・??@」。

 聖霊の賜物として異言があるのですから、異言を話してみたいという思い、話せることを誇りたいというのも理解はできます。


 もう一つの聖霊の賜物は、預言の賜物です。預言とは、神からいただいた言葉を語ることです。

「預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます」(3節)。

 それは、聞く者を励まし、慰めることができる言葉です。パウロは、預言は、教会を造り上げると述べています。


2.パウロの忠告 


 パウロはコリント教会で、異言を語ることができる人が誇っている、自慢しているというのを聞きました。誇り、自慢するのは良くないと、パウロはこの手紙を書いています。異言は聞く人々に理解できないから、それは何の役にも立たないと述べます。他方、預言は、人々を励まし、慰めることができます。教会では、預言の方が優れているから、預言という霊的賜物を熱心に求めなさいと語っています。

「わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう」(6節)。

ここには、教会で語られる言葉として、啓示の言葉、知識の言葉、預言の言葉、教えの言葉があると紹介されています。これらは人に理解でき、役に立つ言葉です。

「 しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります」(19節)。

教会では、理解できる言葉を語り、教会を造り上げることが大切ですと教えています。


3.私たちへのメッセージ 


 パウロ

「預言の賜物を熱心に求めなさい」(1節)

と命じます。これは受けとめるべき命令です。私たちも聖霊の導きを受けて、人を励まし、慰める言葉を語ることができるようになることが大切です。


 パウロは、私たちに、「あなたたちも教会を造り上げるために霊的な賜物を求めなさい」(12節)と命じています。霊的な賜物を受けて、私たちは教会を造り上げる言葉を語るのです。それはどんな言葉なのでしょうか。

  一つは、教会活動をきちんと行うための言葉です。長老会、委員会で、それぞれの働きのために協議します。神の御心を思い、聖霊の導きを願って語り合う言葉は、教会を造り上げるための言葉です。礼拝の説教、祈りもまた教会を造り上げるための言葉です。


 第二に礼拝後に飛び交う多くの言葉に個人的な会話があります。プライべートな話や雑談がなされます。これらの言葉が、教会を造り上げることにつながる言葉となって欲しいものです。つまり、互いに励まし、慰めることにつながって欲しいです。お互いの関係が深まり、信仰の対話が生まれ、励まし慰め合う言葉が導かれて欲しいです。


 さらに互いに育て合うための言葉。

「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」(エフェソ4:29)。

 具体的には、分かち合いの言葉、これも教会を造り上げる言葉になります。聖書を読んで感じたこと、教えられたこと、聖書から導かれて行ったことなどを分かち合うことを大切にしましょう!


 これらの言葉は、聖霊に導かれての言葉、預言と言ってよいと思います。


 私はある日、創世記でヤコブが死ぬ場面を読んで思い巡らしました。死を迎えようとするヤコブは、神が与えてくれた約束を子供たちに告げるのです。神はアブラハムに私たちに土地を与えると約束して下さった、と。


 彼はエジプトで死を迎えますが、必ず、神が与えて下さる地へ、自分を葬るように遺言します。それを読んで私は、ヤコブが神の約束を信じていたこと、そして私も、神の約束を信じていることを思いました。そこで自分が頼みとしている神の約束を20数えることにしました。それを子供たちに伝えたいと思いました。


 子供たちは、私が20個の神の約束を頼りにして信仰に生きたことを知ります。わたしはこれを信仰の財産として伝えたいと思いました。20個の約束をまとめました。近いうちに手紙にまとめたいと思っています。


 こんな信仰の歩みを互いに紹介し合う、分かち合うことに励みたいのです。分かち合う言葉が教会で語られていく時、パウロも、神様も喜んで下さると思います。


 何より、語る者も、聞く者も豊かな恵みを受けることができます。そんな恵みにあふれた教会を目指しましょう。