クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 『こころの友』(3月号)に、こんな文章があった。自分の人生に失望し、自暴自棄になっていた人が信仰に導かれ、牧師に召された人の文で、

「神様は本当にいますか?」と聞かれたら、「神様は本当におられますし、神様は本当にすべての人を愛しておられますよ!」。

と文を結んでいた。その中で彼は言う。

神様は、問題そのものを解決して下さるのではなく、その問題を抱えながらも歩むを私に与えて下さったのだ、と思います

彼は個人的な経験を述べている。


 僕の思考は、あれかこれかではないところに真理があるという発想。神は問題を解決して下さる方だと言い切ってしまうと、問題が解決されないで苦しむ人がでる。実際に解決されていない問題もある。たとえば平和。神は問題を抱えながら生きる力を与える方だと言い切ってしまうと、神は問題を解決する力がないのか、との疑問が生じる。人により、この辺は偏りがあるようで、僕は、つい、神様が解決して下さると信じようと言いたくなる。全能の神を信じているのだから。別な人は、神は問題を抱えながらも生きる力を与えて下さると言う。


 そもそも問題の解決とは何か。自分の願い通りになることが問題の解決なのだろうか。神から見た私たちの問題と、私たちが問題と考える事柄が一致しているとは限らない。

  • 神様は、あなたの問題を解決して下さる方である。
  • 神様は、あなたの問題を解決しないかもしれないが、問題を抱えて生きる力を与えて下さる方である。
  • 神様は、あなたの本当の問題に気づいて欲しいと願う方である。

 どれも真理だと思う。真理の一部分だけを語ると真理でなくなる。説教の難しさがある。説教ではすべてを語ることはできないから。