『悼む人』(天童荒太)、『星に降る雪/修道院』(池澤夏樹)を読んだ。思うことがある。現代の小説だからだろうが、男と女が関係を持つ場面の描写が出てくる。僕はそういう描写は好きではない。物語の流れの中でその場面は必然性があるのかもしれない。どう描写するかは作家の自由である。でも僕は好きではない。そこで思い出したのは、ある小説だ。たぶん『決壊』(平野 啓一郎)。この小説では、「体をかさねた」と書くのみ。それ以上の描写はない。好感を持つ。なぜ、嫌なのか。書こうと思ったが、うまく書けないのでやめる。
小松から孫が来た。今までは単語しか話せなかったが、「食べる」とか「食べない」とか自分の意志を表現することができるようになった。小さな子供だが意志がある。人格がある。不思議だなあ、と感じる。理屈では、人間は人格的な存在と理解しているが、先入観を排除するなら、不思議だと感じるのだ。
次男が大学入試に合格。ほっとする。以下、妻との会話。
この頃、本読むのが好きになった。時間があれば、ずっと本を読んでいたいと思うくらい。
どうしてそう思うの。
他人(人)が人生をどう考えているのか、知りたいと思うからかもしれない。
よくある一時的な熱中で読書したいと思うの?
違うよ。昔から本は読んでいるから。
昔は頭で読んでいたけど、今は心で読むようになったから?
わたしっていいこと言うわね。ふっふっふ。
ある人の言葉で思わず笑ったことがある。
映画を見てまで人生を考えたくない。ただ楽しみたい。
僕は考えても良いかなと思っている。人は様々な考えをもって生きている。