クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


1.実を結ぶ老い

「神に従う人は、なつめやしのように茂り、レバノンの杉のようにそびえます。主の家に植えられ私たちの神の庭に茂ります。白髪に なってもなを実を結び、命に溢れ、生き生きとし」と続きます(詩篇九二)。


神に従う人は、白髪になってもなお実を結ぶ、との約束がここにあります。


 現代は、老いについての否定的な考え方が満ちています。老いれば心身共に衰え、社会に参与することも少なく、家庭でも世話を受 けるだけの存在で、どこか邪魔な存在に思われるような、肩身の狭い思いをしなければならず、挙げ句の果てには、認知症になりあるいは寝たきりになる運命が待っていると言われます。しかし、老いは本当に情けないみじめなものなのでしょうか。「老い」について学ぶと目から鱗が落ちるような思いを与えられます。た とえば、記憶とか、計算というような能力は衰えます。しかし、判断、直感、知恵などは老いてますます磨きがかけられるのです。計算 や記憶は、コンピュータの得意分野ですが、判断、直感、知恵といったものはきわめて人間らしい働きで、この分野の能力は、充実が 期待できるのです。「老い」に関する本を読むと、老いに対して冷静に対処することができるように思います。私の手元に「老いとは何 かを伝えたい」(婦人之友社)がありますが、参考になります。


 冒頭に引用した聖書の言葉は、白髪になっても実を結ぶ老いの人生をを約束しています。信仰がなくても、老いを豊かに生きることはできるでしょう。その場合、何によって人生を豊にするかを自分で持っていなければなり ません。漠然と老いを過ごすのではなく、目的を持って生きることが大切です。しかし、どんな目的を見いだしたらいいのか、案外分からないものです。信仰に生きる者には、創造主なる神から与えられた仕事があります。いわゆる労働ではなく、また金銭的な報酬があるわけではあり ませんが、教会に連なり、神様に仕えて生きる光栄な仕事があります。私たちの歩調に合わせて歩み、支えてくださる神様がおられる のです。


 ある年老いた教会員の方が入院されました。隣のベッドにいる人が夜中たいへん苦しんでいました。その方は看護婦を呼んであ げ、さらに「神様は耐えられない試練を与えない。必ず逃れの道を用意しておられる」との神の約束の言葉を思い出し、苦しんでいる 病人のために一生懸命祈られました。すると苦しみが軽くなったそうです。隣人に仕える働きです。「神様が共にいて下さることがよく わかった」と話されました。このような体験は大きな祝福です。このような祝福の積み重ねが老いの人生となれば幸いな老いを送るこ とができます。