クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今朝、新聞を読んでいたら、リビアが内戦状態に近い状況にあると報じられていました。「アラブの春」という言葉が思い出されます。民主化の風がアラブ諸国に吹いたのです。イラクではフセイン大統領が、リビアではカダフィ大佐が政権の座を追われました。強力な権力者による支配が打ち砕かれた時、国は何によって統一されるのかを考えさせられます。強力な権力者が倒され、民主化が進むかと思いましたが、なかなかそうは事は進みません。イラクでは、現在イスラム国というイスラムシーア派原理主義者が武力によって支配権を広げようとしています。その名が示すようにイスラム教に基づく国家を形成しようとしているのだと思います。イラクの先行きは不透明です。リビアは、新聞によるとイスラム系勢力と民族系勢力の対立があるそうです。


 ヨーロッパでは、専制君主制が崩壊して民主主義が国家の形成原理となっていきましたが、イスラム諸国の場合は、どうなるのでしょうか。必ずしも民主主義が国家の形成原理にならないようです。


 「イスラム国」という名には不気味さを感じます。それは、いわゆる国境を越えて、イスラム教を原理とする国家を築こうという意図が感じられます。しかも武力による宗教の強制が伴いそうです。ヨーロッパにおける専制君主制から民主主義への移行には、背景としてキリスト教があったと思います。一人一人の人間は神によって命を与えられた存在であり、それ故、個人を尊重するという原理が民主主義の土台となっています。とすれば、イスラム教は、どんな国家形成原理を提供するのでしょうか。それが見えてきません。イラクリビアの例は、民主主義が国家形成の原理にならないことを教えているように思えます。


 国家形成原理が人間的なものであれば、それは相対的なものであり、力の強い者の主張が通ることになります。フセインカダフィは、力による支配を行いました。反抗するものは命を奪われるのです。ですから、力による支配は、表面上の平和をもたらします。そして力に拠らず、何らかの理念による一致による国家形成の原理を求めるとすると、現時点では、そのような原理は存在せず、またもや戦いが起こり、勝利するものが力による支配を貫徹しようとしているように思えます。武力に拠らなければ、国家は成立せず、平和を獲得することはできないのでしょうか。


 それでは、わが日本はどうなのでしょうか。民主主義が国家形成の原理になっているのでしょうか。