holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

列王記上12章25〜33節

(内容)
 ソロモン王の死後、神さまはヤロブアムを、イスラエルの12部の内、10部族の王に立てました。しかし彼は、イスラエルの民がエルサレム神殿に行って神を礼拝するうちに、レハブアム王に心を寄せるのではないか、と不安になります。そこでイスラエルの人々がエルサレムに行かなくても礼拝ができるように、金の子牛像を造り、高台に神殿を建て、そこで礼拝できるようにしました。それは罪の源となったとあります。
(聖書に聞く)

☆神はどのようなお方か

  • この箇所には書かれていませんが、金の子牛像を造ることについて、神さまはこれを禁止しています。エジプトを脱出したイスラエルの民がシナイ山の麓で金の子牛像を造り、「いかなる像を造ってはならない」との神の戒めを破ったことを思い出させます。
  • 神さまはヤロブアムに約束を命令を与えました。約束は、彼を王に立てるということ。そして、神の道を歩み、神の前に正しいことを行い、神の戒めを守りなさいと神はお命じになりました。そうするならヤロブアムの家はかたく立つと神は約束されました。


☆神が私たちに求める生き方について

  • ヤロブアムは不安に陥りました。王に立てられましたが、民がずっと自分を王とするのか疑問に思ったのです。神殿があるエルサレムを支配するのはレハブアム王です。民がエルサレムに礼拝に出かける中で、レハブアムに心を寄せ、自分は王としての地位を排斥されるのではないか、と不安になりました。
  • ヤロブアムは、神の約束を信じ切れなくて、不安を解消するために人間的な手段に出ました。勝手に子牛像を造り、勝手に高台に神殿を作り、勝手に祭司を立てたのです。
  • 神の約束を信じて不安をしずめるのか、不安に振り回されて神の約束を結局捨て、自分の力で何とか生きようとするのか。でもそれは不信仰の歩みです。神さまは、私たちが神様の約束を信じ続けることを望んでおられます。
  • 不安に支配され、人間の力で不安を解消しようとするのは、神の道ではありません。

(黙想)
 神の約束と不安。ペトロの手紙にこんな言葉があります。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからである」。神さまをあてにしていいのか、あてにできるのか、不安が心をよぎります。すると神さまにゆだねるより、自分で何とかしようとする誘惑に負けてしまうことがあります。こうして不信仰に陥ります。


 今の世界は、不安が支配しています。敵が攻めてきたらどうするのか。敵の攻撃に備えて対抗措置をとらなければならないとの声が上がります。自国の軍事力を相手に見せつけ、相手の動きを抑制しようとしています。アメリカと北朝鮮の間では心理戦が行われています。日本では、外からの脅威が増す中、国の安全を守るために、という理屈で、軍事力に頼ろうとする動きが顕著になっています。集団的自衛権の行使を強引に国会で可決しました。PKOで派遣された自衛隊の「駆け付け警護」による武器使用を認めました。この国は放棄したはずの軍事力を行使できる国に向かっています。不安に支配されて軍事力に頼るのか、それとも憲法九条にあるように、軍事力によらない恒久の平和を求め続けるのか。選択が迫られています。


 「恐れるな」。これが神さまの命令であり、神さまは平安を約束される方です。「もし敵が攻撃してきたらどうなるのか」と不安がかき立てられます。憲法九条にある、平和を求めるために軍事力は用いないという立場に断固として立ち、ぶれてはいけないと思います。もし敵が攻めてきたら、平和を求める諸国がそれを許さないでしょう。敵が攻撃してきたなら、それはその時に対処すればいいと考えます。敵の攻撃によって犠牲が出ても仕方がありません。イエス・キリストもご自身を犠牲にして人々を救われましたた。恒久の平和を、軍事力によらないで追求する道を歩む者は、場合によっては犠牲を覚悟する必要があります。その犠牲は、尊い犠牲です。勿論、あってはならないものですが。


 北朝鮮の軍事力アッピールを前にして、外交による解決の主張は効果が薄いでしょう。でも平和追求のために軍事力を捨てるという憲法の立場から決してぶれてはいけません。私はそう考えます。敵が攻めてきたらどうするのか。「犠牲は仕方がない」。これがなかなか口に出せません。軍事力によらない平和を求めるには、この覚悟が必要だと思います。

(実践)

  • 自分の政治的な立場を特に主張するつもりはないが、自分の考えだけははっきりさせたいと思うし、はっきりさせました。「敵が攻めてきたらどうするのか」。これは不安をかき立てる言葉であり、この問いに左右されません。犠牲は必要だと、必要なときには語ることにします。
  • 今日の聖書箇所を通して、神さまは僕が自分の立場をはっきりさせるように導いてくださった。不安に支配されない! 原点からぶれない!