クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 詩人は率直に

「わたしの神よ、あなたに依り頼みます」と告白をする(詩編25:1)。

この詩人の姿勢を見て、反省した。僕は、ある問題をくよくよと考え続けている。どうしたらいいか、ああしたら、こうしたら、と考えている。結局、自分で何とかしようと考えている。この問題については、神に祈っていない。神に信頼していると思っていても、この有様。自分で思っているほど、神に信頼していない、と反省。
 詩編を読むと、詩人は、率直に神に語っている。

「こんな風に率直に語ることができたらいいですね」

と祈祷会の参加者の弁。僕も同感。なぜ神に率直に語ることができないのか。二つ理由を考えた。それは自分と父親の関係。我々は、自分の父と父なる神を重ねる。神は父親のようだと考えてしまう傾向がある。父親と率直に語る経験が少ないと神に対してもそうなる可能性がある。もう一つは詩人の言葉にある。

「わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に」(25:15)。

詩人は、神が足にからむ網から引き出してくれているのを経験している。だから、主に目を注いでいる。我々も、小さな問題から大きな問題まで、常に神の前に指しだし、神に解決を仰ぐ姿勢を持たなければならない。自分で解決しようとするので、生きて働かれる神の救いを見ることがない。だから、率直に神に向かうことができない。神が問題を解決して下さる経験を重ねれば、自然と神に向かうのではないか。