わが君イエスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す
主イエスが、私を清めてくださるとのメッセージ、うれしいです。黙って待っていれば主イエスが私を清めてくださるというわけではありません。私は「清い」ことを罪を犯さないこととは考えません。むしろ神の言葉に従順に歩むこと、と考えます。清さイコール従順と考えます。
聖書を読み、神さまが私たちに望む生き方を知り、それを実践します。その生き方に抵抗する自分の思いがあれば、それは罪の思い、肉の思いですから、悔い改め、神のみ心に従うことができるように聖霊の助けを求めます。そのような歩みを続ける中で、罪の思い、罪の行いから私は清められていきます。
私が今礼拝に出席している教会では、礼拝の中で、詩編51編を共に朗読します。罪の懺悔、という位置づけです。この詩編51編の中に
「神よ、わたしのうちに清い心を創造し」
てくださいとの祈りがあります。このダビデの祈りは決して空しい祈りではないと信じます。神さまは、私たちのうちに清い心を創造してくださいます。御言葉に従順に歩む心を聖霊によってつくってくださいます。私はそのことを信じています。以前の私と比べれば、今の私は、心はかなり清められていると思います。勿論、完璧なきよさに到達することはありません。
主エスのお言葉に
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
神を見る、これを期待して、私は神の国を待ち望んでいます。でも今、聖書を読み、私は神の心を知ることができます。
多くのクリスチャンが清められていく喜びを語るようになることを願っています。