クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

罪の呪縛(続きの続き)

 私は罪深い信仰者であるとの罪意識。これは罪に縛られた状態です。罪の支配下にある状態です。このような罪意識を持っている人に私は問います。神さまもきっと尋ねたいと思っていると思います。

「あなたは、このような罪意識から解放されたいですか」。

 もし解放されたいと願うなら、あなたが、自分は罪深いとするその「罪」を克服できるように神さまに祈ることが大切です。徹底して祈ってください。自分の力では克服できません。自分の力で克服できるかも知れないという空しい望みは捨てましょう。本気で罪を克服できるように祈るなら、神さまは答えてくださいます。ダビデのように「わたしのうちに清い心を創造してください」と祈りましょう。

詩編121
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。

 「自分は罪深い」と言いつつその状態に甘んじるのか、そこから脱却するのか、道は二つに一つです。

 私は自分は罪深い人間だと思っていますが、私のアイデンティティーは「正しい人間」です。私はイエス・キリストを信じ、神によって義とされているからです。神の目に私は「正しい人間」です。神の目に映る私は「正しい人間・義人」です。私の目に映る私は「罪深い人間」です。神の目に映る私と自分の目に映る私、どちらが私の本当の姿でしょうか。神の目に映る私、それが本当の私です。私は神さまを信じるので、神さまの目に映る私を本当の私と信じます。

 罪を犯したら悔い改め、赦しを求めればよいのです。神さまが赦してくだされば、私は正しい人です。その罪を犯さないように、神さまの助けを祈り求めるのです。罪を一つ一つ神さまに助けていただいて克服していきます。その事を喜べばよいのです。犯した罪を数えるのではなく、神さまに従うことのできたことを数えて喜べばいいのです。

 改革派の教会が重んじているウェストミンスター信仰告白があります。義認についてこう告白しています。

神は、義とされる者たちの罪をゆるしつづけられる。それで彼らは義とされた状態から決して落ちることはできないのであるが、それでも彼らは、自分の罪によって、神の父としての不興をこうむり、彼らが自らへりくだって、自分の罪を告白し、ゆるしを乞い、自分の信仰と悔い改めをもう一度新しくするまでは、神のみ顔の光を取り戻せないこともありうる。

 義とされた状態から決して落ちることがない!

(罪の呪縛・終)

 

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コスミレ 道路脇のどぶの上に咲いています