holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

人からの誉れを求めず

 今日読んだ聖書にこうありました。

互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。
(ヨハネ福音書5章44節)

 この箇所の少し前でイエス様は「わたしは、人からの誉れは受けない」(41節)とはっきりと語られました。そしてユダヤ人たちに対して、唯一の神からの誉れを求めようとせず、人からの誉れを求める者は、わたしを信じることができない、と語られました。イエス様を真に信じる人は、人からの誉れを求めず、唯一の神からの誉れを求めるべきことを教えられました。

 人からの誉れは目に見えますし、耳で聞くことができます。だから誇らしいし、うれしくなります。しかし神からの誉れは、目に見えません。といって気長に、忍耐強く、終末の日に「よくやった、忠実な僕よ」と聞くだけで満足できるほど、私は気長で忍耐強い者ではありません。

 牧師として成功し、業績を上げた人が失敗を犯し教会を去るのを何度か見たことがあります。牧師として力を尽くし、神さまに仕えてよい働きをしたとき、人からの誉れを聞くと、心はそれに負けてしまうことがあるようです。

 私も自分の中に人からの誉れを喜ぶ心があることは知っています。そして神さまからの誉れはなかなか感じられないことも知っています。人からの誉れを欲する心が湧き上がってきたときは、それを抑える戦いをします。肉との戦い。しかし今日は聖書を読み、単純に、このような思いから清められたいと思いました。するとその時、「主われを愛す」を思い出しました。そこで賛美して、心の清めを祈りました。

わが君、イエスよ、われをきよめて
よき働きを なさしめたまえ
わが主イエス、わが主イエス、
わが主イエス、われを愛す

 肉との戦いは、終わりがありません。モグラたたきみたいに戦いが繰り返されます。自分の力では勝つことができません。肉の思いは湧いてくるからです。勝利は、恵みとして与えられます。だから祈りました。そして人からの誉れを求める思いからの解放の時を待ち望みます。