6月28日から7月1日まで説教者トレーニングセミナーに参加してきた。
これは「説教塾」主催の会である。神学者、加藤常昭氏を講師に迎えての会。説教塾そのものも、加藤氏が主唱してできたものである。
今回は、我々は伝道説教をすることができるのか、というテーマで、ルカ福音書15章11〜32節を取り上げた。この聖書箇所について、聖書黙想をした資料をいくつか読み、勿論、自分自身も黙想し、説教を取り上げ、批判し合うのである。自分が学んだことをまとめてみた。
説教準備で心がけること
- 第一黙想を行う。
- 第二黙想を行う。
- 説教テキストを5W1Hで読む。テキストの言葉の一字一句をおろそかにしない。一つの言葉をきちんと受けとめる。時に、我々はテキストに書いてある事柄の概要を把握して、そこからメッセージを汲み取ろうとする。しかし、このテキストは知っているとか、このテキストはこういうことを語っていると思うとき、テキストに聞くことに失敗することがある。一字一句をおろそかにしてはならない。
- テキスト全体が語ることを理解する。テキストが本来語っていることを正確に理解する。
- ギリシャ語で必要な範囲で読む。
- 聴き手を黙想する。このテキストのメッセージは、教会員の誰には、どのような意味を持つのか、と聞き手を黙想し、聞き手の立場になって考える。メッセージの広がり、深さをとらえる。聞き手に、うんうんそうそう、と身を乗り出して聞いてもらえる説教がよい説教の持つ条件の一つである。
- イメージが浮かんでくるような言葉で語る。論文調、理屈を述べる説教ではなく。
- 黙想を通して、説教の言葉を獲得する。事柄を把握すれば語るべき言葉はついて来る。
- 説教で使うたとえの妥当性。適切さの検討
- 印象的に語る。
- 無味乾燥な説明だけの言葉は避ける。
- 説教者はここで何をしているのか、という視点で原稿をチェックする。説教の言葉一つ一つには意味、役割がある。時間を稼ぐだけの言葉は意味がない。