クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 昨日、地区の牧師会があった。神学書を読む。今回は、『牧師』(ウィルモン著)の最終章。当番の牧師が内容の紹介をした後、自由な話し合い。


 今朝、歯を磨きながらふと思った。A牧師は「教える目線」で話している。話すことはもっともで正しい。著者の語ることを確認するように、さらにわかりやすく、適用できるように話す。教える目線である。教師の語り方である。牧師は教師だ。それも一つの語り方だ。僕は、そういう語り方はできない。できるほどの見識がないからだ。ただ僕は、共感目線で語る。つまり自分はこんな経験をして、そう思った、そう悟った、そう確信した、と。僕は、むしろ、分かち合いたい。人それぞれか。牧師はしばしば教える目線で語る。祈祷会では、突っ込むのが僕の役割と思っている。さらに話を引き出して、分かち合いたい。