クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

列王記下18:13〜19章

(内容)

  • アッシリアの王センナケリブがユダを攻撃し、ユダの砦の町をことごとく占領しました(18:13)。このことに恐れを抱いたユダの王ヒゼキヤは、アッシリアに金銀の貢ぎ物を与え、ユダの地から引き揚げてもらうように願い出ました(18:14〜16)。
  • アッシリアの王には、引き揚げる気持ちはなく、むしろ降伏させるつもりでした(18:31)。つまりユダを征服し、ユダの民を捕虜としてどこかに連れて行くつもりでした(18:32)。
  • センナケリブは、大軍と使いラブ・シャケをエルサレムに送りました。ラブ・シャケはヒゼキヤ王の家臣にエジプトや神に信頼することの無益を語ります(18:17〜24)。
  • さらにラブ・シャケは多くのユダの民に聞こえるように大声で語ります。降伏するように、自分たちの神により頼んでも無駄であること。実際、いくつもの民族を征服したことと、征服された民の神々は無力であったことを告げます。
  • 主なる神が侮辱されたことを聞いたヒゼキヤ王は怒ります。預言者イザヤに事の次第を告げ、祈って欲しいと頼みます。さらにヒゼキヤ王自身が神の前に祈ります(19:15〜19)。
  • するとイザヤは神の御旨を告げます(19:20〜31)。アッシリアの王はユダを引き揚げ、自国に帰ること、さらにセンナケリブは自国に帰った後殺されることを。
  • そして実際、その通りになりました。


(黙想)

  • 小国は大国に戦って滅びるか、降伏してその支配下に身を置くか、選択肢は限られています。ユダもまた小国でした。センナケリブがユダの砦の町をことごとく占領したとき、アッシリアの脅威にヒゼキヤ王は震えたのではないかと思います。そしてヒゼキヤは貢ぎ物を送り、ユダから引き揚げてもらうように画策しましたが、失敗に終わりました。
  • センナケリブはユダを征服し、ユダを滅亡させるつもりでいました。貢ぎ物を送る段階でヒゼキヤが神に祈ったとは書かれていませんが、祈ったと想像します。しかし神の助けはありませんでした。神に信頼して祈れば、必ず神の助けが来るとは限らないことを示しています。アッシリアの王は家臣ラブ・シャケを大軍とともにエルサレムに送り、降伏を迫ります。
  • アッシリアの王は言います。神に頼っても無駄であると。アッシリアはいくつもの国、民族を征服してきました。征服された民の神々はアッシリアの軍事力の前に無力でした。民を助けることができませんでした。そこでアッシリアの王はヒゼキヤに対しても、神に頼っても神は何の力にもならないと言い、降伏を迫ります。ヒゼキヤの耳に、これは神に対する侮辱の発言に聞こえました。
  • この時、ヒゼキヤの信仰が問われます。彼は祈ります。祈るしかないので、とにかく祈ったのか、それとも神はアッシリアに勝利できる信じて祈ったのか。ヒゼキヤの気持ちは分かりません。でもヒゼキヤの祈りには、彼の信仰が表れています。神がいかなる方かの信仰告白がなされています。「あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です」。そしてセンナケリブの神を侮る言葉を聞いてくださいと訴え、助けを求め、「地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください」と祈ります。
  • ヒゼキヤはただアッシリアの手から助けてくださいと祈ったのではなく、神をののしるものを懲らしめ、神が主なる神であることを諸国民が知るように、つまり神がその栄光を現してくださるようにと祈りました。自分の窮地、それは神が栄光を現す時とヒゼキヤは理解しました。そして神の栄光が現れることを願いました。
  • 私たちの祈りも、神の栄光が現れることを願うべきであると教えられます。自分の願いが、神の栄光につながらないなら、それは単に個人の願望に過ぎません。ヒゼキヤは、アッシリアがユダの砦の町をことごとく占領した時、アッシリアの手からユダを守ってくださいと祈ったことと思いますが、神の答えはありませんでした。自分の窮地を通して、神の栄光の現れることを願った時、神の助けは現れました。神の栄光を求める祈り、とても大切な祈りと知ります。いや、私たちの歩みが神の栄光の現れることを目的とする歩みであるかどうかが問われます。神の栄光のために、それが自分の生きる目的となっているのかどうか。


(聖書に聞く)

☆神が求める私たちの生き方

  • 神の栄光を表すような歩みをする。


(神の導き)

祈り

  • 天の父なる神さま、ヒゼキヤの祈りに感銘を受けます。自分の困窮が解決すればよいとだけ考えず、神の栄光の現れることを願いました。私は今、インターネットに新しいサイトを開設し、福音説教の働きをしたいと願っています。この志があなたから与えられたものと信じて取り組んでいます。そしてあなたに用いてくださいと祈っています。今日は、このサイトが用いられ、神さまの栄光の現れることを願うべきことを教えられました。神の栄光が現れるために、自分の歩みがあることを教えられました。感謝します。今日は、新しいサイトを通して、あなたの栄光が現れることを祈ることとします。

☆与えられた導き

  • 新しいサイトを通して、神の栄光が現れることを祈り求める。