罪に勝利する、大げさな表現かもしれません。
繰り返し犯す罪に打ち勝ちたい、あるいは御心に従いたいと思うのに本音では従いたくない、という状態で従えない言い訳を色々考えて、でもそんな自分が嫌で、やっぱり従いたい。でも自信がない。
使徒パウロは、罪から解放されて生きることを聖書的に説明しています。これは言葉では分かっても経験的に分からない面があります。これは罪に打ち勝つ経験をして理解できるという面があるように思います。
私自身は、心の中で葛藤を覚え、従いたくない気持ちに負けそうな時に、何日かの葛藤の挙げ句、自分は信仰者として生きる、と考えて神に助けを求めて祈り、御心に従うべく一歩を踏み出してきました。本気で神さまに従いたいと心を決めて、神さまに助けを求めて一歩を歩み出す時、助けが与えられて、従ってみると自由な新しい思いを与えられてきました。
- 罪に抵抗する力、打ち勝つ力は自分にはないことを認める。
- 本気で神さまに助けを求める。
- 助けが与えられることを信じて、一歩を踏み出す。
この3原則に従えば、罪に打ち勝てると私は考えています。神さまは憐れみ深い方ですから、本気で助けを求めるキリスト者を助けてくださいます。
- 誘惑とは戦わない。背を向けて誘惑から離れること。
以上は私が信仰生活の中で身につけたものです。振り返ってローマ書6章1~11節を読むと、そこに書かれていることが自分の身に起きていることが理解できるようになりました。
讃美歌291番
主にまかせよ 汝が身を
主はよろこび たすけまさん
なやみは つよくとも
みめぐみには 勝つを得じ
まことなる 主の手に
ただまかせよ 汝が身を