自分に対してひどいことをした人に対して赦せないという思いを抱くのは自然ですし当然です。そして時に赦せないという思い・感情に自分の心が支配されてしまうことがあります。苦しくなることがあります。
赦しには二つの面があると考えます。私の考えです。
(1)神との関係における赦し
神は、人の過ちを赦すことを命じます。神は赦しなさいと命じます。赦せませんと神に語ることは、神に反抗することになります。赦しなさいという神の命令にどう答えるかが、問題となります。
何よりも私自身、神に罪赦されているので、人の過ちを赦せないという資格は私にはないとの思いがあります。
また私は信仰者として神の御心に従いたいので、「天の父なる神さま、私は彼の罪を赦します」と祈ります。それは心・感情が赦せるようになったから赦すのではなく、御心に従うという意志で赦します。
祈った後、赦せない思いが再び湧いてくるかもしれません。その時は、また「天の父なる神さま、私は彼の罪を赦します」と祈ります。感情としては赦せなくても、神の御心に従うとの意志で、赦します。
(2)相手との関係において
私にひどいことをした人が私に謝罪をし、赦しを求めたとき、私は赦します。神も、罪を悔い改める人を赦すからです。
私に謝罪して赦しを求めることをしない人に対しては、赦す必要はないと思います。つまり相手にわざわざ「赦します」という必要はないと考えます。相手が謝罪し赦しを求めた場合にはすぐに赦せる心になっておきたいと考えます。
以上は、赦しについての私の考えです。私はこうしたいという私の考えです。私の信仰です。