クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

赦すということ

 最近、『証し』(最相葉月著)を読み始めました。その最初の部分に赦しに関する文があったので紹介します。それは実話ではなく、映画のある場面の紹介となっています。幼い子を殺された母親のことが描かれています。以下、引用です。

 母親が、信仰を深めるうちに、神が汝の敵を赦し、愛せと教えたことを知り、自分も犯人を赦そう、犯人に神の赦しについて伝えようと思い、まわりの反対を押し切って刑務所に面会を申し込む。

 犯人と向き合ったその日、母親があなたを赦すと言おうとしたとき、思いがけないことが起きる。犯人は柔和な笑みを浮かべ、自分もまた刑務所で神と出会い、自分の罪を懺悔したといい、至福の表情でこういった。

「神はこの罪人に手を差し伸べ、その懺悔をお聞きになり、罪を赦したのです」。

「神が罪を赦したですって?」

「涙を流して懺悔し、神の赦しを得ました。そして、心の平安が訪れました。起きると祈りを捧げ、毎日感謝して過ごしています。神に懺悔して赦されてから、心はやすらかです」。

 自分が赦すより前に、神は息子を殺した犯人を赦していた。私が赦していないのに、なぜ神は赦したのか。私が苦しんでいるとき、犯人は神に赦されて救われているなんて・・・

 母親は茫然とし、口からでかけていた赦しの言葉を飲み込み、失意の日々を送ることとなった。

 考えさせられる文章です。私が一つ気になったのは、その犯人が母親に謝罪をし、赦しを求めたのか否かが書かれていないことです。

 その映画は『シークレット・サンシャイン』という韓国の映画のようです。

ゲンノショウコ 近くの里山で