クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝7時起床。朝食。自民党の総裁選がどうなるか、ついテレビに見入ってしまう。福田康夫氏が有力とのこと。心静めてデボーション。来週、妻の母を川上に送りに行く帰り、宿泊場所をインターネットで探し予約。買い物。昼食。午後は、ラジオ金沢の身の上相談。終わって県立図書館へ。本の返却が目的だが、また借りる。沢山本がある。
 読む本は自分で買いたい性分である。図書館で借りると期限内に読まなければならないという制約を受けるのがいやだから。考えてみると、制約がないと、のんびり読むことになり、なかなか読み終えないことが多い。制約を受けた方がきちんと読むのではないか、そんなことを思う。
 夜はゆっくりした。でも、創世記冒頭の創造物語がいつも念頭にある。僕は文字通り、聖書に書かれているとおりに世界が、宇宙ができたとは考えない。そう考える人々もいるが。「地は混沌であって」の混沌とは何か。そして混沌に対して神は「光あれ」と言った。この創造物語を書いたヘブル人は何を考えていたのか。

混沌とは、人間が生きている世界のことではないか。

この世界の現実は、神がいるようには思えない。神がいる、自分たちは神の民であると信じていたヘブル人が、国家の滅亡を経験する。アッシリアの神、バビロンの神の方が自分たちの神より強いのか。神の民がなぜ、捕囚になったりするのか。神は本当にいるのか。そんな思いの中で、ヘブル人は創造主なる神を信じ、その創造を語った。世界の現実は、神がいるのかいないのか分からない、混沌である。しかし神は「光あれ」と語る。神こそ、光であると信仰を語ったのではないか。