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隠退牧師 holala によるブログ

列王記下22章


(内容)
 ヨシヤがユダの王となりました。8歳で王となり、39才で亡くなりました。彼は主の目にかなう正しいことを行いました。26才の時、神殿の破損を修理するために神殿に納められた献金を用いました。この時神殿で「律法の書」が見つかります。祭司ヒルキヤがこの書を読むと、ヨシヤは衣を裂きました。
 ユダの先祖の人々が律法の書の言葉に耳を傾けず、律法に逆らったために主の怒りの激しいことをヨシヤは認識しました。彼は衣を裂き、悲しみを表しました。


(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

  • 神の民イスラエルが他の神々を礼拝し、神を捨てたことについて怒る方です。
  • ヨシヤは宗教改革を行いましたが、ユダを滅ぼすという神のみ心は変わりません。神さまは悔い改めのチャンスを与えましたが、ユダは結局悔い改めませんでした。
  • 先祖の歩みを知り、先祖の罪を悲しんだヨシヤを神は憐れみ、ヨシヤの在任中はユダは滅びないと約束されました。神は憐れみ深い方です。

☆神が求める私たちの生き方

  • (罪)わたし以外のものを神としてはならないとの十戒の戒めを破ること。それは神を捨てることであり、最大の罪です。
  • (勧め)神のみ心に聞くこと。律法の書が見つかり、主の怒りを知り、ヨシヤは神のみ心を尋ねました。自分はいかにしたらよいのか、神のみ心を尋ねることは大切です。

(神の導き)

祈り

  • 天の父、イスラエルの民の歩みと教会の歩みは同じではありません。教会では礼拝に集う人々はあなたを崇めます。日曜毎に集いあなたを礼拝しています。しかしキリスト教世界であったヨーロッパでは礼拝に集う人々が少なくなっていると聞きます。あなたを信じる人々が減少しています。キリスト教の歴史の中で、信仰とはあなたとの交わりであることがどれほど受けとめられてきたのかと思います。キリストの教え、聖書の教えは人々の影響を与え、その考え方の基礎となりました。キリスト教は人々の精神の基礎をつくってきましたが、今や段々と影響力が失われてきているように思います。
  • ヨシヤの在任中、律法の書が発見され、ヨシヤはユダにおける信仰の刷新に力を尽くしました。偶像礼拝の撤去です。これは素晴らしいことだと思います。
  • 今日では、人間は神を捨て、自分と自分の力を頼りにしているように思います。人々が思い思いに考え、この世界にはさまざまな争いや対立があり、平和が失われています。聖書だけが、あなたの言葉だけが混迷にある世界を導くことができると信じます。
  • キリスト教社会には伝道して聖書を伝え、キリストが宣べ伝えられている地域では、あらためて聖書が人間の生の土台となることが必要だと思います。でも事はそう簡単には運びません。
  • 私はこの列王記下22章を読んで「聖書の再発見」ということを思いました。聖書とは何か、聖書は再発見されるのを待っているように思いました。しかし現実として聖書は世界中で多くの人に読まれていることも事実です。どんな再発見があるのかと思います。でもこの世界は生きる指針としての聖書を必要としていることは確かだと思います。
  • 天の父よ、今わたしにできることは、聖書が人々の力となり、人々を導き光となることを願うこと、祈ることです。人間は自分の理性に確信を持ち、自分の考えをよしとし、歩んでいます。その結果が、さまざまな争い対立です。イエス様が世の光であるように、聖書が神のことばとして私たち人間を導くものとなるように祈ります。

☆与えられた導き

・聖書が再発見され、人々を導く光となるように祈る。