クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 仙台に行って与えられた恵みを分かち合いたいと思います。
素直な心で神様、と呼びかけ、祈ることができるようになったことです。

 末っ子の望が仙台に行き、時々電話をくれるのですが、「神様の気持ちを考えるって大事だと教えられたよ。お父さんも考えるようにしたら」と言われたんです。望は父親の信仰がさらに成長するように願っているようで、アドバイスしてくれるんです。

 最初そう聞いたときは、「ふ〜ん」と聞き流しました。神様の気持ちより自分の気持ちの報が大切だと思っていました。今回仙台に行って、望と私たち夫婦、3人で食事をしていたとき、「今、僕たちを見て、神様ってどんな気持ちでいると思う」と望が質問してきて、「そんなこと考えたこともない」と答えました。

 そしてある晩、テレビで映画を見ました。「花田少年史」。それを見て僕は泣いてしまったのです。どういう場面で泣いたのかを分析したのですが、子どもが寂しい思いをしている時、泣くんです。ああ、僕の心の中に寂しい思いがあるんだなと思いました。それと同時に、父親には父親の思いがあること、従って神様にも父なる神としての思いがあることを思いました。僕の心の中にある寂しさ、それは父に対する寂しさでした。父なる神に対しては、素直になれない面がありました。死を恐れた僕は、創造主なる神を素直に認めることができませんでした。幼い時の私は死を恐れました。神様が創造主なら、なぜ幼子が恐れでおののくのを許したのか、納得できなかったからです。

 それは私の心のかたくなさによるものと直感的に理解した私は、映画を見ながら「神様、かたくなな私を許してください」と祈ったのです。その時から、神様を父なる神と素直に呼びかけ祈ることができるようになりました。日々、笑顔で私のことを見ていてくださる神様を見上げる思いです。私という存在を喜んでくださっている神様を感じます。

「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」(歴代誌下16:9)。

父なる神と同じ心で生きていきたいという思いが心の中にふつふつとわいてきます。素直な心で神様、と呼びかけ、祈ることができるようになったこと、私にとって大きな恵みでした。