クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今日は午後、ラジオの身の上相談に出演。4年近く相談に応じてきたが、

今日が最後となった。

色んな相談を受けたが、悩みにのパターンがあることに気づいた。悩みの多くは、家族の問題である。相手に対して自分が思うこと、感じることを率直に伝え、話し合えばよいのだが、率直に話すことにためらいを感じるのだ。相手がどう思うか、それを気にする。話し合いを避けて、問題を解決する方法がないか、と聞かれる。うまい「言い方」がないか、聞かれる。あるかもしれないが僕にはわからない。率直に語り合い、お互いの気持ちを理解して、どうするか共に考えるしかない。で、僕の答えはいつも、自分の気持ちを伝えなさい、となる。


 もう一つは価値観が絡む。価値観と言っても大げさなものではなく、何を大事にするかが問われる。何を大切にして行動を選択するか、である。たとえば夫は、兄に少なからぬお金を貸した。妻は返済してもらいたいと思うが、夫は兄に何も言わない。どうしたら返済してもらえるでしょうか。夫は兄に返済を迫ると兄弟の関係にひびが入ることを恐れて返済を迫ることをためらう。妻は返済してもらいたいと思う。兄弟の関係を重んじれば返済を迫らない。するとお金は返らない。お金の返済を迫れば、返してもらえるかもしれないが、兄弟の関係にひびが入るかもしれない。何を大事にするかが行動を決定する。


 今日の夕食は肉じゃがを作る。


 信仰の成長とは何か。最初の段階は「知る」こと。クリスチャンは何を信じるのか、まず「知る」こと。次の段階は、「知る」だけではなく、「信じる」こと。次の段階は、「行動」すること。行動を通して、何を信じているかが見えるようになる。


 求道者に対しては「知る」ことを求める。クリスチャンはこういうことを信じていると伝え、信じたいと願うなら洗礼を授ける。洗礼を受けたら、信じるように導く。そして成熟した信仰者になるために、「行動」を導く。信仰が見えるようにするのである。


 入門コースは、「知識」を伝える。養育コースは、信じるように導く。弟子コースは、信仰を目に見えるようにするように導く。

「知識」→「信仰」→「行動」と信仰は深まるのである。

 知識として何を伝えるのか、何を信じるのかを教える。そして信じたことを行動できるように育てる。こちらの働きは、「伝え」「教え」「育てる」である。