クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 土曜であるが、秋を感じさせる青空に心は騒ぎ、妻と散歩に行った。金沢駅近くにある金沢フォーラス。そこに島村楽器があり、ギターの本を見に行った。その間に妻は、金沢駅にある食材店で夕食の材料を買ってきた。帰りは、バスの時間が合わず、駅から歩いた。僕は下を見ながら歩いている。歩道のコンクリートの割れ目に根を伸ばしているスミレが時々目につく。ちょっとした可能性を見つけてそこでしぶとく生きていく姿には感銘を受ける。家に近づいた時、驚いた。ギンヤンマが飛んでいる。こんな町中に!? 久しぶりに級友と再会した気分。


この写真は、http://www.bekkoame.ne.jp/~sibutaka/nature/html/insects/ginyanma_j.html からの借用。


 一服してから説教の準備を再開。


 最近思うことのキーワードは「成長」。夏に次女が孫を連れて来た。今は「はいはい」である。つかまり立ちはできている。立って、そして歩く、それが今後の楽しみである。赤ん坊は少しずつ成長していく。いきなり大人になるわけではない。赤ん坊にすぐに大人になることを要求するわけにはいかない。これは単純な事実である。


 ところが教会という所はおかしな所である。洗礼を受けた途端、一人前のクリスチャンと見なされる。だから教会には「成長」という言葉が聞かれない。僕が教会で「成長」という言葉を口に出しても、キョトンとして受け取られている。


 そういう僕が、教会員に対して、大人、成熟した信仰者であることを期待している。教会のビジョンを描く。それが早期に実現するかのような期待を抱く。でも「成長」は時間がかかる。急な、一足飛びな成長は期待するのが間違いである。そう考えたら、心が軽くなった。