クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2010.1.3)
聖書 フィリピ 1:27a 神の子供として成長する


 クリスチャンになっていない方は洗礼を受けた後、信仰者になったら、どう生きていったらよいのか、よくわからないと思って、洗礼を受けるのをためらうことがあるかもしれません。信仰者になったらどう生きていくのか、正直言って簡単には説明しにくいです。


 また牧師になってから、それをどう理解したらよいのか疑問に思う言葉が、信徒の方の口から出るのを何回も聞いてきました。たとえば

  • 「私は罪深い者です」
  • 「私は立派な信仰者ではないので、家族を信仰に導けません」。
  • 「愛することはむずかしいです」。


 これらの言葉を語る信徒の方には喜びの表情はありません。どうしてこういう言葉が出てくるのか、一つには、信仰者になったら、どう生きていったらよいのか、教えられていないことが原因になっているように思います。今日はこのことを考えたいと思います。


1.信仰者はどう生きたらよいのか 

 今日取り上げる聖書の箇所はこうです。

「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」。

信仰者になったらどう生きるのか、「キリストの福音にふさわしい生活を送ればよいのです」。ではキリストの福音にふさわしいとは何ですか、という問いが続きます。


 教会学校に子供たちが来ます。以前、教会学校の礼拝で使っていた子供讃美歌という本があります。そこには「私たちの五つの務め」として、聖書を読む、お祈りをする、教会学校を休まない、献金をする、お友達を誘う、と書かれていました。教会学校に来る子供たちに五つのことを努力するように教えます。


 大人に対してはどうでしょうか。日本キリスト教団信仰告白を書いたこういう紙があります。この紙の裏に、生活綱領という文章が書かれています。私たち信仰者が心がけるべき事が掲げられています。

  1. 教会の秩序を守り、その教えと訓練とに従い、聖日礼拝、祈祷会、そのほかの集会を重んじ、聖餐にあずかり、伝道に励み、・・・。
  2. 日々聖書に親しみ、常に祈り、敬虔・純潔・節制・勤労の生涯を全うすること。
  3. 家庭の礼拝を重んじ、家族の和合を尊び、子女を信仰に導き、・・・
  4. 互いに人格を重んじ、隣人を愛し・・・」。

 信仰者になったら、どういうことを心がけて生きたらよいのかが書かれています。書いてあることは立派だけど、固い文章です。なんかむずかしいという印象を与えます。


 あるいは、聖書を読めば、クリスチャンの生き方に関する教えがたくさん書かれています。だから、信仰者はそういう教えを守ればいいのだと言われても、そういう教えを並べられても、受けとめきれません。そういう教えを箇条書きに書いていったら沢山あります。信仰者となって生きるとは、聖書に書かれている戒めを守ることではありません。


 信仰者になったら、どう生きていったらよいのでしょうか。一般的には、

  • 礼拝を大切にし、聖書を読み、祈り
  • 家族を愛し、隣人を愛するように努力する、
  • 教会を支えるために献金をし、奉仕をし、
  • できたら伝道をする、
  • 教会の集会を大切にし、聖書を学ぶ、

などすべきことを連ねれば、一応は、信仰者になったらどう生きるのかを語ることはできます。


ところが、忙しくて

  • 聖書を読む時間も祈る時間もないし、
  • 教会の集会にはなかなか出席できない。
  • 伝道と言っても、立派に生きているわけでもないし家族に伝道するのはむずかしい。
  • キリスト教の教理も十分にわかっているわけではなく、人に伝道するのはむずかしい。
  • 人を愛することもむずかしい。

というような言葉が口からつい出てきてしまいます。そこで信仰者としてどう生きたらよいのか、

  • とりあえず、礼拝はきちんと守り、
  • 教会を支えるために献金はしよう、
  • 教会で求められる奉仕はできる範囲内でしよう、

これだけ努力すれば、いいのではないか、と思ったりするのです。


2.「五つの目的」 


 今教会で、「五つの目的」(リック・ウォレン著)という本の学びを行っています。信仰者として生きる目的が五つあると教えてくれます。しかも聖書の言葉に基づいて教えてくれるのでなるほどと思います。その通りだと私は確信しています。


 イエスは、神の戒めを要約すると「神を愛し、自分のように隣人を愛しなさい」の二つの戒めになると教えられました。神を愛する、それは礼拝を大切にすること、人を愛するとは、人に仕えることです。


 もう一つ、イエス大宣教命令というものがあります。マタイ福音書の最後にあります。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ28:19〜20)。


 復活し、天に戻られる直前のイエスの命令、大宣教命令といわれます。多くの牧師は、これを伝道命令と受けとめています。しかし私はある時、その理解は不十分だと教えられたことがあります。


 すべての民をキリストの弟子として、キリストが命じたことをすべて守るように教えるとあります。これは、キリストのように生きる信仰者を育てなさいという命令です。つまり信仰者をキリストに似た者にしなさいという命令です。


 あるいは、あなたがたは行って、とあるのは、伝道の使命が私たちにはあるということです。さらに洗礼を授けるとは、教会を築くということ、神の家族を作るということになります。


 ですから信仰者の生きる目的は、神を礼拝し、神の家族のメンバーとなり、キリストに似た者となり、仕える人になり、使命に生きる人になることです、と五つの目的が示されるのです。あの日本キリスト教団の生活綱領と比較すれば、明快です。信仰者はどのように生きればよいのか、丁寧に、親切に説得力ある形で書かれています。


しかし目標、目的を提示すれば、信仰者になったらどう生きるのかがわかると言えるのでしょうか。


3.成長するということ 

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(ガラテヤ3:26)。

 信仰者になるとは神の子供として生きることを意味します。ですから、信仰者になったらどう生きるか、それは神の子はどう生きるのか、という問いになります。


 山に登るとき、食糧、衣服、登山用具などの準備をします。いろんな場合に備えるのです。そして頂上という目標を目指します。同じように、信仰の目標に向かって進むときも、準備が必要です。それは信仰者の成長ということです。そうしないと思いがけに事態が起きたり、障害が起きたりするとどうしていいかわからなくなり、そこでストップ、ということが起こりかねないのです。


 最初に、私は信徒の方から出る言葉についてどう理解するのか戸惑ったことを申し上げました。そして気づかされたことがあります。私たちはもしかしたら、誤解をしているのかもしれない、ということです。私たちは、信仰者になった途端、すぐに大人の信仰者、成熟した信仰者になっていると思ってしまう誤解です。


 聖書を読むことができるし、祈ることもできるし、聖書に書かれている教えを理解できるし、それを実行しようと努力することができます。そしてお互いに大人の信仰者、成長した信仰者と考えたりして、相手に対して期待をしたりします。ところが、

  • 相手の未熟さを知ったりすると、裁いたり批判をしたりします。
  • また自分について言えば、現実には、なかなか、聖書の教えを実行できません。
  • 家族への伝道もうまくいかないし、
  • 教会の奉仕はしても疲れが残り、自分のしたいことをした方がよいと思ったり、
  • 自分はだめな信仰者だと思ってしまう。

そんな現実があります。

  • 信仰者である自分を喜べないのです。
  • 信仰者として生きることを喜べないのです。
  • 奉仕も喜んでできないのです。


 これらの原因は、私たちが信仰者として成長することを考えないからではないか、と考えるようになりました。つまり信仰者になった途端、一人前の信仰者になったと考える誤解があるのです。成長すればできることも、成長する前はできない、それは当たり前のことです。赤ん坊はいくらがんばっても立って歩くことはできません。こんなあたりまえの事実を私たちは忘れているのではないか。私たちは、成長ということを受けとめなければならないのです。

そして少しでも成長したことを喜んでいけば、

  • 信仰者として生きることに喜びもあるし、
  • 信仰の成長に応じて、できるようになったことを喜ぶことができます。


 クリスチャンもそうでない人も現代日本という同じ状況の中で生きています。その中で、

  • クリスチャンが成長の度合いに応じて、信仰者として生きていくなら、
  • クリスチャンでない人から見ると、信仰者は自分とは違うという印象を与えることになります。
  • そして信仰者として生きるっていいなという印象を与えていくとき、伝道がなされます。
  • 私たちも成長している喜びを味わうことができます。


 ですからイエス・キリストを信じて生きるためには、神の子として成長していくことが大切であると考えることが大切です。聖書にこんな文章があります。コリントにある教会では、自分たちの指導者を誰にしたらよいか、ということで争いがありました。そこでパウロが手紙を書いて教えるのです。

「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。こ二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(コリント一3:5〜7)。

 大切なのは、成長させてくださる神なのです。成長させてくださる神の恵みを受け取ることはなんと喜ばしいことでしょうか。なんと幸いなことでしょうか。皆さんの中には、自分はそれなりに成長していると思う方がおられるでしょう。忘れてはならないのは、あなたはもっと成長できるということです。あなたの成長のために、神様は助けの御手を述べてくださいます。その神様の御手を求めなくて良いのか、神の恵みを求めなくて良いのか。私たちは死ぬまで、成長していくのです。


「兄弟たち、あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。また、そうするのが当然です。あなたがたの信仰が大いに成長し、お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっているからです」(テサロニケ二1:3)。


信仰者として成長するということを、深く心に留め、成長を求める人は幸いです。祈ります。


祈り

 天の父、今日も聖書に基づき、み心を教えられ感謝します。私たちは信仰者になった途端、大人の信仰者、成長した信仰者になっていると誤解していました。その証拠に、信仰者としての自分の有り様は、不十分だという思いがあります。自分が成長しているはずだと思うから、不十分だと思うのです。
 人間も生まれたときから成長して、何年もかけて大人になっていきます。イエス・キリストを信じ、私たちは神の子とされ、神の子供として成長していくことを教えてください。そして成長を求める心を与えてください。
 何よりも、あなたが私たちを成長させてくださる方であることを教えてください。成長させてくださるあなたの恵みを与えてください。成長の手助けとして牧師が与えられていることを覚えさせてください。イエス・キリストの御名により祈ります。