クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 ある時、ふっと気がついたことがある。このブログに既に書いたかもしれないが、若い時に聞いたクラシックの曲を聴くと古い友人に出会ったような気がしてうれしい気持ちになる。それはそれで楽しい。しかし、新しい友人を得ることも大切であると思い、新しい曲を聴くように心がけることにした。そして今、マーラー交響曲を時々聴いている。1番は「巨人」というタイトルがついている。タイトルにはとらわれないでただ音楽を聴く。印象的なメロディーがある。第2楽章のはじめの部分。第4楽章のホルンの重厚な合奏。ソドシラ、ソトシラ、・・・。この部分は気持ちを高揚させてくれて、聞いていて気持ちが良くなる部分でもあり、新しい友として迎えたい気持ちになっている。やはり音楽はメロディーは大切であると感じる。気に入ったメロディー好きになれるメロディーのある曲はいい。シベリウス交響詩フィンランディア交響曲2番も良き友である。でも気持ちを高揚させ励ましを与える曲というのは、作曲家自らがそれを必要として曲を作ったのではないかと感じる。


 信仰の成長と題して説教を続けている。あらためて思うことは、救いとは解放、自由であるということ。自由にされた心が、喜んで神のみ心を行うこと。聖書を学ぶテキストは色々出版されているが、この点が弱いように思う。だから下手をすると、聖書を学び、御言葉に生きようとすると、律法主義に陥る危険がある。御言葉に従おうとする時に、それを妨げる心の動きを一つの「束縛された状態」と認識し、これからの自由を獲得していくことが大切。そうしないと、御言葉に従うことが重荷となる。


 イエスは、わたしのくびきを負いなさいと命じた。そのくびきは軽いからである。なぜ軽いのか。それは、イエスが私たちを自由にしてくれるからだ。くびき自体が軽いのではなく、イエスが軽いものとして負わせてくださるのだ。今日、石川地区の聖書セミナーが、元町教会を会場として行われた。講演と質疑があり、以上のことを思った。