土曜日だが、天気がいいので、朝食後散歩に出かける。上の写真はコスミレ。とある駐車場の片隅に咲いている。舗装された駐車場の塀の際の割れ目から花を咲かせている。自生できる場所がなくなり、こんな場所に花を咲かせる。必死に生きていると感じる。
浅野川沿いを歩くと桜はかなり散っていて、道は桜の花びらの絨毯になっている。
ヒメスミレも、石の割れ目に根を下ろして花を咲かせている。
↑オオタチツボスミレ
卯辰山の菖蒲園の林縁に咲いている。
↑タチツボスミレ
菖蒲園から、町に向かう道路と接する林縁に咲いている。
↑コスミレ
町中の民家の舗装された道路と塀の際に咲いている。
↑オオバキスミレ
これは我が家の鉢に咲いたもの。右側に咲いているのは、ヒメスミレ。
春の散歩は楽しい。汗も流した。
こうしてスミレを見ていると思うことがある。
種類は違っても花を必ず咲かせる。
一つのスミレに異なる種類のスミレの花が咲くわけではない。
スミレは自分の花を咲かせる。
クリスチャンも神の子というアイデンティティーをしっかり持って生きるなら、
クリスチャンとしての花を咲かせ、実を結ぶことができる。
立派なクリスチャンになろうなどと考える必要はない。
イエス・キリストを信じて神の子にされたと信じればいい。
罪赦され、罪から清められたと信じればいい。
新しく生まれ変わったと信じればいい。
神の子として生きることを喜び、
神の子として生きればいい。
神を愛し、神の教えに生きればいい。
罪を犯してもいい。その時は、悔い改めればいい。
神様は失敗を責めはしない。
少しでも、神を愛し、人を愛することができたら喜べばいい。
信仰者は、それぞれの花を咲かせればいい。
神がスミレを咲かせる。
神が信仰者を生かす。
ありがたきかな、神の恵み。