クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 先日、教会報が発行されました。「これからの教会」と題して、文を寄せました。これは、今私が神様から与えられた務めの骨子と考えていることです。


教会が抱えている課題は多岐にわたります。伝道不振、教勢低下、高齢化、若い人が少なく教会の衰退が深刻化、教会員の孤立化、信徒育成の不十分性、福音提示の貧しさ、など教会は課題を抱えています。今後教会はどうなるのか、明日のことには目をつぶってしまいたくなります。そんな危機感を持ちながら、どうしたらいいのか、模索を続けています。私が金沢元町教会に赴任する決断をしたときにきっかけとなった聖書の言葉がありました。使徒言行録16章9節の言葉です。

「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った」。

 パウロはこの幻を見て、マケドニア人に福音を伝えることが神の御心と確信して、マケドニアに出発しました。そして私は金沢に行くことが御心と確信しました。金沢元町教会において、私は、学びによる信徒育成、信仰に生きる歩みの分かち合い、そして説教に心を注いできました。神さまの目から見て金沢元町教会が必要とする助けについて、どれほどのことができているのか、それは分かりません。これで間違っていなかったと確信はしています。でも教会の直面する課題を前にして、これからどうするのか、との思いがあります。同時に、これからどうするのか神様から確信を与えられています。それをお話しします。

 今『五つの目的』(リックウォレン著)の学びをしています。これは非常にすぐれた本です。教会員のある方が知り合いの方を誘って学びが始まりました。教会に来たことのなかった人も混じっています。60代以上の方ばかりです。高齢者が教会に喜んで集っている光景がここにあります。金沢元町教会に赴任するときに、実は妻にも与えられていた聖書の箇所がありました。

万軍の主はこう言われる。
エルサレムの広場には
再び、老爺、老婆が座すようになる。
それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。
都の広場は、わらべとおとめに溢れ、
彼らは広場で笑いさざめく。
(ゼカリヤ書8章4〜5節)

 高齢者が、しかも教会に来たことのない人が学びに来ている。その姿を見て、妻は、この聖書を思い出したのです。教会に高齢者が沢山おられることは神さまの祝福なのです。旧約聖書では、長寿は神さまの祝福です。ただ長寿に伴い、体の衰えからくる様々な問題があり、高齢者福祉が必要とされている現実があります。それはそれとして高齢者の存在は教会にとって祝福です。何故なら高齢者こそ、「信仰があれば、人生は大丈夫」と証言できるからです。


 これからどうするのか、何を目指すのか、私の確信はこうです。


 第一に、教会は福音を提示します。それは主として礼拝の説教を通してです。説教を通して、福音が生き生きと提示されなければなりません。これはいつの時代、どこにおいても教会のなすべき大切な使命です。このために牧師は努力し、教会員は祈らなければなりません。


 第二に生活の中で福音を味わうことです。福音に生きることです。福音として聞いたことを生活の中で実践し生かすことです。福音は、理屈でも思想でもありません。生活を導き、支える力です。福音に生かされることが喜びとなり、幸いとなります。説教者は、自ら語る福音にまず生かされなければなりません。そして福音に生かされる中で与えられた証の言葉を語ります。説教者自身が福音を味わうのです。そして福音を聞いた者が、福音に生きるのです。これは立派な信仰者になるということではありません。喜ぶのです。本音で説教を聞くことを喜びとし、本音で聖書を読むことを喜びとし、本音で福音を喜び、建前でなく聖書の言葉によって生きることを喜びとするのです。世の人々は、福音が本物であるかどうか、見ています。本物かどうか、それは信仰者が喜んでいるかどうかで、分かります。育児で疲れているお母さんにとって、仕事でエネルギーを使い果たす人にとって、マンネリ化した夫婦関係の中にあって、年老いて将来に不安しか抱けない人にとって、どんな問題を抱えている人にとっても、それでもなお福音こそ、希望であり、力であるという喜びを伝えることのできる教会になることが大切です。


 第三に、そのために福音に生かされる喜びを私たち自身分かち合うことが必要となります。仮に自分が落胆、悩みのどん底にあっても、他の人の証が励ましとなり、力となります。あるいはお互いのために祈る祈りが、支えとなります。他の人を生かした聖書の言葉が力となり、慰めとなります。


 以上の三つを目標として生きる教会には、希望があると僕は信じています。福音を提示し、味わい、分かち合う、この三つを本気で追求するなら、神さまは豊かに祝福を注いでくださると信じます。老爺老婆に続いて、おとめやわらべ、若者も集ってくると信じます。神様の約束です。皆さんと共にこの三つを追求していきたいと願っています。金沢元町教会は既にこの目標に向かって歩んでいます。私たちが心を一つにして、共に目指すことが大切です。金沢元町教会の将来は、皆さんがどうするかにかかっています。