クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

朝、散歩をしている。浅野川沿いを歩くのだが、川沿いで休憩すると、空気も冷たくさわやかで、鳥の鳴き声が聞こえてくる。川の水の流れる音も心地よい。ごちそうを食べているような、ぜいたくな時間の過ごし方を味わう。

↑雑草だが、名前を調査中。

午前中は、地域集会(家庭集会)。ある本を共に読んでいるが、印象に残った文章があった。参加した方も、この文章について発言された。

「してはいけない」「しなければならない」という生き方は分かっても、「喜んで愛する」ということがわからないのです。

私たちは、律法から解放されている。神の教えを守らなくても、キリストを信じる信仰によって救われている。「してはいけない」「しなければならない」という生き方はしなくてよい。守りたくなければ守らなくてもよいのだ。それが律法から解放されているということ。「隣人を愛しなさい」との教えがある。我々は隣人を愛する。でもそれは、「愛さなければならないから愛する」のではない。それでは、律法の下にいることになる。我々は、喜んで隣人を愛するのである。しかし、「愛さなければならないから愛する」という生き方は分かっても、「喜んで愛する」ということがわかからないのです、と著者は語る。ここで地域集会の話し合いが盛り上がっていきます。楽しいですね。


午後は、教誨師としての働き。今回は個人教誨。受刑者と個人的な面談をする。受刑者の質問に答える形式で、福音を伝える働きをする。楽しく奉仕できて感謝。福音を伝えているという実感が与えられる。