クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私が日本国憲法九条を支持する聖書的理由について

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

以下は、旧約聖書イザヤ書2章からの引用です。

アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい
多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

 預言者イザヤが幻を見ました。<終わりの日>に諸国民が主の山に登り、ヤコブの神の家に行こうというのです。主の教えを求めてです。そして神は多くの民を戒め、その結果、平和が訪れると言われます。

彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。

 武器によらず、人々は神のもとに集い、平和が訪れるのです。
世界各国で国家予算の中の軍事費が国民の生活のために使われるなら、どの国の国民も平和で安心した生活を送ることができるのではないかと思います。


 新約聖書エフェソの信徒の手紙2章にある言葉です。

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

 キリストは十字架で死にました。その死は、敵意という隔ての壁を滅ぼすものであり、敵対しあうもの同士を一つに結んで平和をもたらすというのです。それゆえ<キリストは私たちの平和>と言われます。次は、コリントの信徒への手紙の一14章にある言葉です。

神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。

そして何よりも大切な言葉。マタイ福音書5章から。

平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。

ここの平和とは、夫婦の間における平和、親子の間における平和など身近なところから、世界平和に至るあらゆる平和を意味しています。平和をつくる努力をする人は、神の子と呼ばれるのです。言うまでもありませんが、ここで言う平和は、力による平和ではありません。敵意を滅ぼし、和解して築く平和です。


↑先日水を汲みに行ったとき、水しぶきが飛ぶためか、雑草に霜柱ができている。


 軍事力によって相互に牽制し合い平和を作る道は、神の道ではないことが分かります。平和は、争う者同士が和解することによって生まれるものであり、武力ではなく話し合いによって築くものです。憲法九条は聖書的です。聖書的であるゆえに私はこれを支持し、これを変えることには反対します。