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隠退牧師 holala によるブログ

 100分de名著・旧約聖書

 NHKの「100分de名著」という番組で今、旧約聖書が取り上げられています。全四回で、すでに三回分放映されました。テキストも販売されているので早速読んでみました。この著者の主張は、ユダヤ教は本格的な一神教であり、普通の一神教から本格的な一神教に変化したとするところにあります。これは説得力のある主張、そして興味深い主張だと思いました。


 普通の一神教とは、人あるいは民族が一つの神を信じることを指します。たとえばイスラエル民族はエジプトから救い出した神を彼らの神と信じ、他の神は信じませんでした。これは普通の一神教だというのです。普通の一神教の特徴は、人が神を選ぶことにあります。


 イスラエルの民はエジプトを脱出し、やがてパレスチナの地域に国家を建設することになりますが、彼らは、一つの神、エジプトで奴隷であったときに自分たちを救い出した神だけを信じていました。ところがイスラエルの民はゆとりのある生活ができるようになったので、パレスチナの先住民が信じている神を信じるようになりました。必ずしもエジプトから救い出してくれた神を選ぶ必要はなく、むしろ豊かな収穫を与えてくれる神、パレスチナの先住民が信じている神を信じる方を選ぶようになりました。一つの神を選んで信じる、これを普通の一神教と著者は呼びます。自分に益を与えてくれる神を選んで、人はその神だけを信じるのです。


 しかしソロモン王の死後、イスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国ことに分裂します。やがて北のイスラエル王国アッシリア帝国によって滅亡させられます。神はイスラエル王国を守ることができませんでした。次いで南のユダ王国も滅びます。神を信じても国家が滅びるとなれば、その神を信じる理由はなくなります。でもその時、普通の一神教が本格的な一神教になったと著者は述べます。


 聖書には戦争がよく出てきます。戦争は、国と国との戦いですが、神と神との戦いでもあります。国家あるいは国民は自分たちの神を信じ、神に戦いの勝利を祈願します。戦争に勝利する国の神が強いのです。負ければ国家は滅亡し、国民は戦勝国に同化され、敗北した民族は歴史から姿を消し、彼らが信じていた神も消えていきます。


 イスラエルも国が滅びたのですから、自分たちを守ってくれない神を信じなくなっても不思議ではありません。自分たちを負かした民の神を信じてもよいのに、彼らはそうしませんでした。


 彼らには、神の前に自分たちは罪を犯していたという自覚がありました。罪を犯した故、神が助けてくれなくても当然との思いがあります。神が国家の滅亡を容認したのは、神が無力だったからではなく、イスラエルの民が罪を犯し、そのために神は彼らを助けなかった、つまり彼らを裁かれたとイスラエルの民は信じるようになったのです。神は、彼らの神であり続けました。イスラエルの民は神に選ばれた民、しかし神の前に罪を犯す民。罪の自覚のゆえに、神を無力な神とは考えず、むしろ神を信じ続けたのです。神に選ばれ、その神を信じ続ける、ここに本格的な一神教が誕生したというのです。神に選ばれたゆえに、他の神を信じない、これが本格的な一神教です。


 このことについて、僕は大いに共感します。過ぐる日曜日の説教でも述べたことですが、僕にとっては自分が罪人であることは確かです。自分が罪人であることは、神の存在よりも何倍も確かです。神に選ばれ、その結果として自分の罪を知ります。自分の罪を知ると他の神に乗り換えることができなくなります。なぜなら、罪は解決されるべき問題であり、私は罪からの救いを必要とするからです。自分に罪を知らせ、救いを与えてくださる神以外の神を信じることはできません。本格的な一神教です。本格的な一神教ユダヤ教からキリスト教に受け継がれました。


エスの言葉が思い起こされます。

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
ヨハネ15:16)。

この言葉が重みを帯びてきました。