クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

ホセア書にドキッとする言葉がありました。

「彼らは心からわたしの助けを求めようとはしない」。

 この言葉を読んで、自分の心を探りました。あの問題はどうしたらいいのか、とその問題が起きることをひそかに恐れていることに気づきました。その時に考えればいいのではないか、と考えていましたが、その<恐れ>を見ないようにしていることに気がつきました。


 あるいは、どんな思いで祈り求めているのか、その気持ちも探られる思いがしました。祈りの課題を祈りますが、どこか義務的に祈っていることを思います。信仰者として祈りの義務を果たして安心をしたいとの思いがあります。


 「心から求める」とは、本気で神さまだけが助けることができると考え、神の導きを求めると考えました。あなた牧師なのに、本気で祈っていなかったの、と突っ込まれるかもしれません(^_^;)。


 祈り求めるだけでなく、その祈りの実現のために、神の導きを得ることの必要を改めて確認しました。祈り求めるとは、その祈りを神さまが実現に至らせるために、自分は何をするのか、神の導きを得て行うことを含みます。心からの助けを求めたいと思い、いくつか列挙し、祈りました。


↑教会の駐車場に咲いたコスモス