今日は、励ましを受ける文章を読みました。この文章に出会うには、色々な事がありました
- 娘の夫のH牧師が祈祷会でFEBCの放送を録音したものを聞かせてくれました。
- それで何気なく、インターネットでFEBCのサイトに行きました。
- そこにマルチン・ルターについての番組が二つありました。一つは「マルチン・ルターの信仰と生涯」。もう一つは、「我、ここに立つ」でルターの祈りに学ぶというものでした。
- 僕はこれを録音することを思い立ちました。「マルチン・ルターの信仰と生涯」は既に第2回まで放送済みです。放送済みのものでも、視聴期限までは、聞くことができます。第1回放送分は、期限を過ぎており聞くことができませんでした。
- 第2回は昨日が視聴期限でしたが、幸い、聞くことができたので録音しました。「マルチン・ルターの信仰と生涯」は書籍になっていて、実は以前、読んだことがあります。今回の放送は、再放送なのです。
- 今日、録音を聞きながら、本を目で追いました。
するとそこに、今の私にぴったりの文章があったのです。ルター研究者の徳善義和氏が、話をしてくださっていました。ある時、
「宗教改革とは何か、一言で説明してください」
と言われ、その時にこう答えられたのです。
「宗教改革といのは、聖書をめぐる運動でした。聖書を読む運動だったのです」。
「そうした運動がどういうふうに広まっていったのかということについては別にお話をする機会が必要でしょう。そうしますと、聖書の運動、聖書を読む運動として歴史の中に起こってくる宗教改革というのは、やはりだれかが聖書を読んでいなくてはならないわけですから、つまり一人の人が聖書を真剣に読んだということがありました。不思議なことに、同じ時代にはあちらこちらヨーロッパの各地でそのようにしてひとりで聖書を真剣に取り上げて読む人たちが出てきているわけなのですけれども、実際の宗教改革、今お話ししているマルチン・ルターも、非常に早い時期にそのように聖書そのものを真剣に読み、聖書の言葉を真剣に取り上げ、これと取り組んで、遂に宗教改革に至ることをした人でした」。
きっと神さまは、聖書を真剣に読む人を各地に起こし、宗教改革が起きるように導かれたのだと思いました。このことがわたしを励ましてくれました。神さまは聖書を真剣に読む人を起こされる方であること、それが励ましとなりました。
わたしは引退はしましたが、「あなたが本当に伝えたいことがあるなら、それを伝えるがいい」と神さまに言われたような気がしています。そしてわたしは、導いてくださいと祈っています。神さまは、そのわたしを今日は励ましてくださいました。つい見逃してしまう日常の中に、神さまの導きを見ることができます。感謝。
↑朝の散歩道で、市内を見渡す。向こうに見える山は生駒山