holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

大いなる信頼と悲痛な叫び

 奈良高畑教会の祈祷会では今、詩編を読んでいます。昨日は詩篇46編を読みました。そして一つの疑問にぶち当たりました。詩編にはある意味対立する内容があるのです。
 詩編46編の冒頭の言葉を紹介します。

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない/地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも/海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも。

 ここには神に対する絶大なる信頼が告白されています。

しかし詩編44篇には、叫びがあります。

主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。永久に我らを突き放しておくことなく/目覚めてください。なぜ、御顔を隠しておられるのですか。我らが貧しく、虐げられていることを/忘れてしまわれたのですか。我らの魂は塵に伏し/腹は地に着いたままです。立ち上がって、我らをお助けください。我らを贖い、あなたの慈しみを表してください。

 ここには、神がなぜ助けを与えてくれないのか、と悲痛な叫びがあります。絶大なる信頼と、悲痛な叫び、これはどう調和するのでしょうか。これが私の疑問でした。この疑問を抱きながら祈祷会から帰宅しました。でも帰宅の途中で、ひらめきが与えられました。

  • 神はいつも私たちと共におられること、
  • そして私たちが神さまをたたえるように、神さまは導いておられる、

ということを思いました。

 神さまは、いつも私たちを、神さまをたたえるように導かれるということに気づかされました。苦難の中にある時、私たちが助けを求めるのは自然です。その時、私たちの心の中に、自分の願うとおりの助けが与えられるようにとの思いがあるのではないか、と思わされます。神に助けを求めていますが、神さまがほめたたえられるべき方であることは忘れられているのです。大いなる信頼と悲痛な叫びは調和しがたいように見えますが、それを解く鍵は、神がいかなる方かにあります。神さまは、いつも私たちを、神さまをたたえるように導かれる方であることが鍵なのです。このことを忘れてはいけないのだと思わされました。

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