クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 2月の最後の日曜日は、説教奉仕があります。宣教開始○○年という記念日になるとのことで、「友だちを連れていきたくなる教会」と説教題を決めました。昔妻の友人が、今自分が通っている教会は、友だちを連れて行きたくなる教会だと妻に語ったのです。それで夏休みにその教会の礼拝に出席したことがあります。説教が魅力的でした。友だちを誘いたくなる理由、それは説教でした。説教テープを何本も取り寄せて、その牧師の説教をいくつも何回も聞いたことを覚えています。よい説教がなされる教会に人が集まる、それは理解できます。


 その頃は夏休みには必ず他の教会の礼拝に出席しました。多くの人が集う教会で、何で人が集まるのか、その理由を知りたいと思ったからです。日本基督教団の教会ではありません。教団の多くの教会は、高齢化の中にあって礼拝に集う人が少なくなっています。ある時訪問した教会では、私が来たことに誰も関心を持ってくれませんでした。これでは、また来たいとの思いを与えないな、と思いました。


 私が考える、友だちを連れて行きたくなる教会のモデルは聖書にあります。でも聖書に登場する教会はいずれも問題のある教会です。だからパウロが手紙を書いて忠告しています。問題はありますがよい面もあり、それをパウロは認めています。聖書に描かれる教会は、理想的な教会ではありません。自己批判しながら自分を変えていく、それが聖書に登場する教会です。そしてどんな教会が目指されているかと言えば、愛が生きて働く教会です。愛のある教会、それが友だちを連れて行きたくなる教会ではないか、と思います。そこでポイントは、自己批判できる教会かどうかです。聖書に照らして自己批判できるかです。人間には保守的な面があって、変えることを嫌う傾向があります。そこをどう乗り越えるか、です。