クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝、テレビを見ていたら臨時ニュースが流れてきました。オーム真理教の教祖浅原彰晃死刑囚の死刑が執行されたとのニュースです。お昼のニュースでは、他に6名のオーム信者死刑囚の死刑も執行されたことを知りました。それを聞いた瞬間、ドキッとしました。すると自分でもどう表現していいか分からない気持ちになりました。


 知人が死刑で亡くなったような気がしました。でも彼らは知人ではないので悲しむということはありません。しかし全く知らない人ではありません。個人的な関わりはありませんが、テレビのニュースなどで、彼らの顔はよく知っています。彼らが何をしたのかを知っています。その意味でよく知っている人が死刑になったのです。


 先日、落語家の桂歌丸さんが病気のために亡くなりました。その死は新聞やテレビでも報道されました。人間の死は、日常的な出来事として、有名人の誰某が亡くなったとか、事故や災害で何名亡くなったとか、殺人事件が起きたとか報道されます。他方で、その死によって大いに悲しむ人たちがいるはずで、その人たちにとって、その死は、日常的な出来事ではありません。特別な出来事です。他人の死は2,3日すれば忘れてしまいますが、親しい人の死はそうはいきません。


 人の死は、それが他人の場合、日常的な出来事となりますが、知人、友人、家族など親しい人の死となるとそれは特別な出来事であり、私たちの心は動揺し、受けとめるのに困難を覚えることもありますし、私たちは悲しみます。今日の死刑執行の報道を聞いたときの自分の気持ちがよく分からなかったのは、オームの死刑囚の死が他人の死であり、同時に知っている人の死であり、どう受けとめていいのか分からなかったのかもしれません。