クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

湧き出る伝道の思い

 今日祈祷会で、発言しながら気づいたことがあります。

 話題が終末のことに及んだのです。私は、終末を本当に信じると信仰者の生き方は変わる、という考えを持つようになっていました。それで、気づきが与えられたのです。

 実は、私は伝道者として世の人々が滅び行くのを悲しみ、何とか救いに導かなければならないという強い使命感を持てたらいいなとかつて思いました。神学校に通っていた時、一学年下の学生がそういう気持ちを吐露したのを覚えています。しかしその時、自分にはその思いはないなと思いました。それは今に至るまで変わりはありません。世の人を滅びから何とか救いたいとの強い使命感を持でずに牧師の務めを引退しました。そういう使命感を持ちたいとは思っても、簡単に持てるものではないように思います。

 昔ある牧師が、葬儀は絶好の伝道の機会だと語るのを聞きました。なぜなら、人が死んだらどうなるのか、誰もが考える時であり、聖書によれば最後の審判があると語り、人を信仰に導くチャンスだというのです。でも脅して信仰に導くようで、どうなのかと私は思いました。

 しかし伝道のチャンスだと語るその心には、人を救いたいとの思いがあることは分かります。そして人を救いたいとの思いにおいて、私は負けていると思いました。何としても人を救いたいとの思いの弱さが私にはあり、その思いを強めることができずに今日まで至りました。そして今日、分かりました。

 終末の事柄を本気で信じていないから、人を救いたいとの思いが弱いのだと。そして今思います。終末を本気で信じることは、御国を本気で信じることにつながるのだと。御国を本気で信じる時、人を何とか導きたいとの切なる思いが与えられることを。