holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

聖霊の導きを求めて(13)

 無知な者が限られた情報をもとにして、大それた目的を目指すとどうなるのでしょうか。

 牧師になって間もない時、地区の中高生のキャンプを終えて、「あなたの話には力がない」と言われて送られてきた本が『聖霊の現れ』。その中に聖霊のバプテスマを受けるとしるしとして異言が現れると書いてあり、聖霊の導きを受けて異言を語るにはどうするか、が書かれていました。聖霊に関する本を色々読みあさり、私なりに聖霊のバプテスマを受けるにふさわしい信仰者になるように努力しました。自分の罪を告白し、自分を明け渡して神さまに従順に生きる努力をしました。その上で、聖霊の導きを受けて異言を語る試みをしました。

すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録2:4

 霊が語らせるままに話し出す、とあります。聖霊のバプテスマに関する本には、異言を語るための方法が書かれています。上記の本にはこう書かれています。

心のうちに聖霊の臨在によるあたたかいものを感じるなら、聖霊は、あなたに異言による天与の言葉を与えるために、解放される用意ができているのです。その聖霊の臨在に応えて、口を開き、声を出し、信仰によってくちびると舌で音節を出すのです。もしあなたが信仰に堅く立ち、途中で止めることがなければ、あなたの口から出てくる言葉は、すぐに協力してくださる聖霊の導きのもとにおかれます。 

  やってみると分かりますが、これはむずかしいです。私たちには理性があるので、意味のない言葉を口に出し続けることはできません。「舌で音節を出す」とあります。たとえば「あ」と音を出します。でも続く言葉は出てきません。色々試みました。で、ある時、言葉が出てきました。異言を聞いたことのない私にはそれが異言かどうか分かりません。

 人間は、意味のない言葉を出し続けることはできません。しかし心のブレーキ、心の抑制をはずすと言葉を出すことができます。次に出す意味のない音を考えなくても、自然に分けの分からない言葉が次々に出てくるのです。\(^o^)/。異言を語れた!

 聖霊のバプテスマを受けると異言が出てくる、これはいいと思います。しかし異言が出たら、聖霊のバプテスマを受けたことになるというのはどうでしょうか。心のブレーキ、心の抑制をはずせば言葉は出てきます。理解できない音のつながりが出てくるので異言に見えます。でも、それだけなのです。「あなたのは異言ではなかったのです」と異言を語る人から言われるかも知れません。

コリントの手紙一14章2~5節の言葉。

異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。
しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。
異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。
あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。

 異言を語る者は、自分を造り上げるとありますが、僕は、異言よりも預言を選ぶことにしました。説教者として人を造り上げ、教会を造り上げる言葉を語りたいと思いました。