クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書を読む楽しさ

 最近、いや昨日か一昨日、気づいたのです。聖書を読まないと心に潤いがなくなるというか、心が干からびてブログに書く文章が何も思い浮かんでこないことを。牧師を引退し、説教準備に追われることはなくなりましたが、自分にとって聖書を読むことがいかに大切であるかを知らされました。聖書を読み、思いめぐらす、それだけのことですが、それが私の魂を豊かにすることに気づきました。

 時間にゆとりができましたから、旅行をしたり趣味に時間をさくなど、残された人生を楽しむことに時間を使ってもよいのかもしれませんが、魅力を感じません。引退したからこそ、聖書をじっくり読めることをありがたく思います。たとえば、こんな聖書の言葉に出会うとうれしいです。

「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである」(ヨハネ8:56)。

 アブラハムが登場する創世記に彼がイエスの日を見るのを待ち望んでいたなどとは書かれていません。どう理解していいのか分かりません。イエス様の真意は何なのか。なぜこのような表現を使われたのか、思いめぐらしても答えは出てきませんが、楽しいです。あるいはこんな言葉もあります。

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」(ペトロ一1:8)。

 すばらしい喜びってどんな喜びなのか。私もこの喜びにあずかりたいです。聖書には理解しがたい箇所が幾つもあります。それが理解できたら!謎解きみたいです。