クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

イエス様と私の関係

 ヨハネ福音書を毎日少しずつ読んでいます。今は10章です。

はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
(ヨハネ福音書10章1~4節)

 これを読んで教えられます。私とイエス様の関係は、羊と羊飼いとの関係であると。自分とイエス様の関係を羊と羊飼いの関係であると認めてこそ、イエス様を信じていると言えます。

 羊は羊飼いの声を知っているのでついていく、とあります。私は聖書を読み、聖書の言葉に従う努力をしています。聖書の言葉、それは私にとっては羊飼いであるイエス様の声です。聖書の言葉に従う、それは羊飼いについて行くことです。私はイエス様が私の羊飼いであることを告白します。

 そこで考えさせられることは、羊飼いは羊の群れを率いて先頭に立って行く、とあることです。つまり私の羊飼いであるイエス様は、どこへ行こうとし、私をどこへ導こうとされているか、ということです。すぐには答えは分かりませんが、思いめぐらしています。

 17日の日曜日、奈良高畑教会では礼拝後、「ハンガーゼロ」の講演会が行われました。「ハンガーゼロ」、これは日本国際飢餓対策機構の別称のようです。飢餓で苦しんでいる人たちを支える働きをしている組織です。講演を聞いた後、私は「ハンガーゼロ」のサポーターになることを決めました。

 私は「世界中の人が家族と共に幸せな生活ができるように、世界に平和を与えてください」と祈っています。講演を聞き終わり、サポーターになることを決意しました。私の祈りに対する神さまの答えを聞いた思いがしました。

 このこともイエス様が私をどこへ導こうとされるのか、そのことと無関係ではないと思っています。

 

f:id:holala:20191120230255j:plain

奈良の秋 興福寺五重塔