クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスチャンの成長(22)聖霊を内に宿して生きる-13

 ガラテヤ書には、霊の結ぶ実、言い換えると聖霊によって結ぶ実が紹介されています。

ガラテヤ5:22~23
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。

 聖霊の実としてあげられている「寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」はいずれも「愛する」ことの具体的な現れと考えることができると思います。そして愛する行為には、これらの項目が同時に重なることもよくあると思います。親切な行為の背後には善意がありますし、誠実な振る舞いは節制につながることもあります。

 親切以下の項目で私が心がけているのは「誠実」です。神さまに対して、そして他者に対して誠実に振る舞うことです。関わりを持つ人に対して誠実に振る舞うことを大切にしています。自分も、相手の人から誠実に振る舞ってもらえればうれしいです。

 自分がどれほどできているかは気にしません。むしろ誠実という姿勢を保つことを心がけます。そして聖書を読み自分の姿勢を吟味します。聖書を読まなければ、結局、成り行きにまかせる歩みになります。

 聖書には神さまの色々な戒めが書かれています。それらの多くは要するに愛することです。愛するといっても、行動は多岐にわたります。相手を赦すことがあり、相手の行動をよしと受け入れること(寛容)があり、相手に助けの手を伸べる(善意、親切)ことがあり、相手を敬うことがあり、相手を励ましたり慰めたり、思いを一つにするなどいろいろです。ですから聖書を読み、具体的な戒めを読む時に、自分はどうなのか、批判的に自分を振り返ります。

 聖書の教えを身につければ必要なときに必要な行動がとれるとは私は考えません。それは少々うぬぼれになると考えます。私たちは案外忙しく、自分のことで精一杯で他者を顧みる時間や余裕は少ないものです。ですから聖書を読みつつ自分を振り返り、具体的な振る舞いを考えます。こうした行動を積み重ねていけばよいと私は考えています。

 ちなみに私は自分のディボーションをサイトにアップしています。「御言葉に生きるための提案」サイトです。ある時から、毎週月曜にアップすることに決めました。そうすれば、サイトを訪れる人は、自分の都合のよいときにサイトを見ることができます。サイトに行ったけどまだ更新されていなかったという空振りを与えないで済みます。ある意味で親切となります。毎週必ずということになれば、そこには誠実さ、節制も要求されます。

 親切以下の実については、自分にとって取り組みやすいものを中心にしたらよいのではないかと思います。私の場合は「誠実」でした。

 急がず焦らず、ぼちぼちとでいいので着実に歩んでいきたいです。

 

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