ガラテヤ書には、霊の結ぶ実、言い換えると聖霊によって結ぶ実が紹介されています。
ガラテヤ5:22~23
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
聖霊の実の4番目は「寛容」です。寛容とは、広い心を持つことと私は考えています。
1.新聖書大事典の説明
寛容は寛大、慈悲、根気、忍耐であって、争いに対する平和、怒りに対する平静、性急に対する節制である。
2.寛容は神の性質
神の性質で思い起こすのは、神がご自身のことをモーセに語った言葉です。
出エジプト記 34:6
「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者」。
憐れみ深い、恵みに富む、忍耐強い、慈しみと真実(まこと)に満ちていると神が御自分のことを紹介しています。そして寛容、これもまた神の性質です。
ロマ 2:4
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
人は神に似せて造られたので、神の性質を身につけていて自然です。しかし人間は罪を犯し、神の性質を失いました。そこで人はキリストを信じ、生まれ変わり、新しい人となって、神の性質を回復してきます。神は聖なる方なので、神の性質を回復することは私たちが聖なる者になることにつながります。
3.私にとっての寛容
人はだれでも重荷を負っています。あるいは心の傷を負っています。これらが人の行動に影響を与えます。ですから相手の行動の背後に何があるのか、それを思う心を寛容と私は考え、心がけています。
相手の行動が不愉快であったとき、すぐに反発したりするのではなく、それが相手の重荷、心の傷から出ていることを思い、思いやる心を持って相手に接する、それが私にとっての寛容です。相手の存在の背後にあるものを思いやる広い心・寛大な心、それが私にとっての寛容です。
反発的に怒ることなく、責めることなく、忍耐する心、相手を赦す心が生まれます。