クリスチャンは新しい命を与えられています。新しい命を与えられたクリスチャンは神の子です。新しい命、それは神の子が持つ命です。
命は食物によって支えられる必要があります。生物としての人間は毎日食事をして生物としての命を維持しています。料理により人間はその食事を楽しみにすることもできます。栄養不足は栄養失調を招き、食物不足は餓死に至ります。
新しい命の食物とは聖書、神の言葉です。信仰者が神の言葉を食べれば、神の言葉は信仰者に働きかけ、信仰者を生かします。しかしこれを食べなければ、信仰を持たない他の人々と同じように考え行動します。信仰を持つ以前と何の変わりもありません。しかし神の言葉を食べれば、その人は考え方・生き方が変化します。神の子としてふさわしく考え、生きるようになります。クリスチャンなのに、この世の人と変わらない人であれば、新しい命は栄養失調か餓死しているかもしれません。
自分の考え方、ものの見方、何を大切にしているのか、信仰を持っていない人とはっきりと異なっているでしょうか。それとも変わりがないでしょうか。キリスト者にふさわしい考え方、ものの見方、価値観をもっているでしょうか。ここに神さまから与えられた命が生きて働いているか否か、分かれ目があります。
クリスチャンもこの世の人と同じように生活しています。順風の時も逆境の時もあります。この世の人は、自分の知恵、常識、他の人たちのやり方に従いますが、クリスチャンは聖書の語ることに従い対処する面があります。おのずとこの世の人たちと生き方が違ってくる面があります。
日曜日教会の礼拝に行っているだけ、献金しているだけ、聖書を読んでいるだけ、お祈りしているだけ、では必ずしも新しい命が生きているとは限りません。その行動がクリスチャンとしてのお勤めを果たすことになってしまっているのです。こう言っては何ですが、クリスチャンであることが人生のアクセサリーになっている人もいます。
私としては、クリスチャンになったのなら、本物のクリスチャンとして生きていきいたいです。本物とは、神さまが与えてくださった命に生きることです。生かされることです。